小熊秀雄(おぐまひでお)1901〜1940
1901年9月9日、北海道小樽市稲穂町に生まれる。幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし、泊居高等小学校を卒業。鰊・いか釣り漁師の手伝い、養鶏場番人、炭焼き手伝い、農夫など様々な雑務作業に従事した後、1922年より旭川新聞社見習い記者として入社、間もなく社会部記者となる。ついで文才阿を認められ文芸欄も担当。この頃から文芸活動始まり、詩、童話などを書き、演劇にも関係する。1925年2月崎本ツネ子と結婚。4月、夫人とともに上京するが志ならず7月旭川に帰省。上京中「愛国夫人」8月号に童話「焼かれた魚」発表。1926年1月、長男焔生まれ、三たび旭川新聞社に復職。1927年詩友の今野大力、鈴木政輝らと詩誌「円筒帽」発刊(2号で廃刊)。この頃、旭川新聞文芸欄に詩、小説等を旺盛に発表。1928年妻子を伴い上京。国本社の編集手伝いの後、神田方面にあった業界紙「麻船具」「実業新報」の編集に従事。詩人と遠地輝武、伊賀上茂らを知る。1930年「裸」「先駆」「祖国」「民謡音楽」等に詩、民謡を発表。夫人が病身となり、自身も喘息発作に苦しみ、幼い子どもをかかえて生活は困窮を極める。1931年遠地輝武の紹介でプロレタリア詩人会に入会。「プロレタリア詩」に「スパイは幾万ありとても」を発表。1932年プロレタリア詩人会が日本プロレタリア作家同盟(ナップ)と発展的に解消することになり、小熊も参加。1933年ナップ反戦詩集『鮮烈』に「母親は息子の手を」を発表するが、前年から弾圧さらに激しく、ほとんど組織機能を失い、発表機関もなくなる。1934年「詩精神」刊行。創刊号に「馬上の詩」発表。『一九三四詩集』に長編詩を含んだ詩作を発表。1935年に『小熊秀雄詩集』長編叙事詩集『飛ぶ橇』で詩人としての地位を確立、自由や理想を奔放に歌い上げる作風で、詩壇に新風を吹き込んだ。詩作にとどまらず、童話・評論・絵画など幅広い分野で活躍した。
小熊の最初の詩集『小熊秀雄詩集』の装幀をおこなった寺田政明ら池袋モンパルナスの画家たちと交流し、みずからも絵筆を執った。なお「池袋モンパルナスに夜が来た」という文で始まる詩を発表。「池袋モンパルナス」の名づけ親も小熊といわれている。
また晩年は、漫画出版社・中村書店の編集顧問となる。旭太郎名義で原作を担当した漫画『火星探検』(1940年)はSF漫画の先駆的傑作とされ、手塚治虫、小松左京、筒井康隆、松本零士らに大きな影響を与えた。
1940年11月20日、東京市豊島区千早町30番地(現在の東京都豊島区千早)東荘で、肺結核により死去した。満39歳没。
『小熊秀雄詩集』小熊秀雄(耕進社/1935)
『飛ぶ橇』小熊秀雄(前奏社/1935)
『流民詩集』小熊秀雄(三一書房/1947)
『長長秋夜』小熊秀雄(創樹社/1953)
『小熊秀雄詩集』小熊秀雄(筑摩書房/1955)
『小熊秀雄全詩集』(思潮社/1965)
『小熊秀雄詩集』小熊秀雄(旭川文化団体協議会/1975)
『小熊秀雄全集』全5巻(創樹社/1977~78)
『小熊秀雄詩集』小熊秀雄(創風社/2004)
『小熊秀雄詩集』小熊秀雄(日本図書センター/2006)
〈小熊秀雄詩集〉から
【蹄鉄屋の歌】
泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄〔ひづめ〕から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷だらうか、
若い馬よ。
少年よ、
私はお前の爪に
真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
そしてわたしは働き歌をうたひながら、
――辛抱しておくれ、
すぐその鉄は冷えて
お前の足のものになるだらう、
お前の爪の鎧になるだらう、
お前はもうどんな茨の上でも
石ころ路でも
どんどんと駈け回れるだらうと——、
私はお前を慰めながら
トッテンカンと蹄鉄うち。
あゝ、わが馬よ、
友達よ、
私の歌をよつく耳傾けてきいてくれ。
私の歌はぞんざいだらう、
私の歌は甘くないだらう、
お前の苦痛に答へるために、
私の歌は
苦しみの歌だ。
焼けた蹄鉄を
お前の生きた爪に
当てがつた瞬間の煙のやうにも、
私の歌は
灰色に立ちあがる歌だ。
強くなつてくれよ、
私の友よ、
青年よ、
私の赤い燄〔ほのお〕を
君の四つ足は受取れ、
そして君は、けはしい岩山を
その強い足をもつて砕いてのぼれ、
トッテンカンの蹄鉄うち、
うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ、
共に同じ現実の苦しみにある。
【きのうは嵐きょうは晴天】
広野を
嵐と好天気とは
スクラムを組んで
この二つのものは一散に
南から北へ向けて走って行った
これを指して
人々は気まぐれな奴等だと評する、
嵐と好天気――
およそ一寸考えると仲の悪そうな奴
私はそう思わない
私はそのように
嵐と歌と日本晴れの歌をうたう
きのうと今日hs激しくちがう
私は何故そのように気まぐれであるか
私の過去はなんと不幸な生涯だったろう、
私の首はいつも敵に咬えられていた、
私の生活はいつも振り廻された、
きのうは嵐、
きょうは晴天、
明日はおそらく嵐だろう、
私は嵐と晴天の混血児だ、
私の生活は激変する空のようだ。
貧乏とはそもそも詩であるか――
時折そう考える
それほどにも私は詩を書いて
貧乏とたたかい、
詩を書いて――自殺を思いとどまる、
詩よ、私の生活、
私のタワリシチよ、
どうやら詩と私とはぴったりしているらしいんだ、
評論家よ、聖者よ、
プロレタリアの感情の規律を
どう理解したらよいか
それを私に教えたまえ、
おお、女の唇よ、現実よ、
かく歌うその気まぐれに鞭を加えよ、
ぶつぶつ言う友よ、
君のために、君の鳴らない太鼓と
おつき合いをして調子落として
叩くなどということは死んでもいやだ、
君は君の太鼓の皮を取りかえ給え、
私は私の太鼓を乱調子でうつ、
それが私の太鼓の個性なんだ、
すべての敵よ、私のために現われよ
いりみだれた戦いの美しさ、
私は反抗以外に何事も忘れた、
友よ、
君へ『ゾラ』の理性を引き渡す、
私はシェイクスピア的狂気を引受ける。
【姉へ】
アカシアの花の匂いの、
ブンと高く風にただようところに――、
私の姉は不幸な弟のことを考えているでしょう
酔ってあばれた
ふしだらであった弟は
いまピンと体がしまっているのです。
そして弟は考えているのです。
苦労というものは
どんな人間を強くするすものであるかを。
私は悲しむということ忘れました、
そのことこそ
私をいちばん悲しませ、
そのことこそ、私はいちばん勇気づけます
私は何べんも都会へとびだして
何べんも故郷へ舞い戻ったとき
姉さん、あなたが夜どおし泣いて
意見をしてくれたことを
はっきりと目に浮べます、
――この子はどうして
そんなに東京にでていきたいんだろう、
弟はだまって答えませんでした、
運命とは、私にとって今では
手の中の一握りのように小さなものです。
私はこれをじっくりと強く、
こいつを握りしめます。
私は快感を覚えます、
――私は喰うためにではなく
生活のために生きているのです。
というほどに、今では大胆な言葉を
吐くことができます、
労働のために握りしめられた手を
私はそっと開いてみます、
そこには何物もありません
ただ憎しみの汗をかいているだけです、
御安心下さい、
私は東京に落ちつきました。
【お前可愛い絶望よ】
絶望よ、
お前が襲ってくるときは
実に美しい、夕陽のようにきれいだ、
マリヤーピンの絵の色のように赤い、
激動を伴うからお前は綺麗だ、
強烈だからお前は美しい、
すぐ死を考えることができるから嬉しい、
そして地球は広いから
絶望のために七転八倒して
くるしんでも私は邪魔にならないだろう、
絶望よ、お前はさまざまな姿で
私の処へ、毎日でも訪ねてき来ておくれ、
私は歓迎しよう、
私はお前が訪れてくるたびに
死を考え、生を考え、
そして私はこの二つのことを
こころから歌をつくして悔恨はない、
お前がやってくると私は怒る、
そして敵というものの正体をはっきり見る、
私の中の敵、
敵の中の私、
混んがらがった敵味方の中から
絹の布をピリビリと引きさくように
敵の部分を引きちぎることができる、
私は絶望を大変可愛がっている人間だ、
竜よ、お前と私とは闘おう、
誰だ、
私と竜との間に
なまじっつかな人間が仲裁に入るのは、
私はシェクスピアの「リア王」のように
――竜と怒りの中に入るな、
と私のたたかいの本能に、
水をさす者を罵しるだろう、
敵と私との間にいるものは絶望よ、
お前はどうなに私をふるいたたせるだろう、
私の怒りは塩のように
ナメクジの溶かしてしまいたい、
私はリア王のように憤りしゃべり、
画家ゴヤのように髪の毛を逆立てて
口から泡をふいて仕事をしたい、
絶望よ、
お前は可愛い奴だ、お前のヒシと
抱き緊めるとき
私の心臓は手マリのように弾んでくる、
不幸がこのように私を激させている、
呼吸(いき)を吐くべきときに吸ったり、
吸うべきときに、息を吐いたり、
不規則な心臓の鼓動よ、
動乱の世界の私の歌うたいよ、
いつになったら一層良い環境で
私に喜びの歌をうたわせてくれるだろう。
〈流民詩集〉から
【馬の糞茸】
なつかしい馬の糞茸よ
お前は今頃どうしている
馬の寝息で心をふるわせ
馬小屋の隅で
ふしぎに馬にもふまれず
たっしゃにくらしているか、
春だものみんな心をふるわしているだろう
お前の友だちの土筆はどうした
ひょろひょろした奴であっつたが
気だては風にも裂けるほどの
優しい奴であったが、
蝶々は相変わらず飛んでいるか、
なつかしい馬の糞茸よ
僕は都会にきて
心がなまくらになったよ
靴をみがくことと
コオヒイをのむことを覚えたきり
なんの取柄もな人間となった
馬小屋から馬をひきだすとき
奴は強い鼻息を
私の胸にふっかけたものだ
都会では私の、胸のあたりに鼻息を
ふっかけにやってくるものは
悪い女にきまっているよ
こ奴は私の胸にしがみついて
――あんた支那そばをおごって頂戴、だと
卑しい卑しい白粉臭い都会
私は田舎の土の匂いがなつかしい、
【心の敷物】
いまも呪咀と罵りの
いっぱいはいったトランクを引っさげて
私は寝床をぬけだして
朝の街の中に走りだした
生の中にもちこんだ赤い死の色
私の眼は死に光り
生きているにぶい堪能のない通行人や
電車の中の愚鈍な眼の人々に
その私の視線をつめたくおくる、
彼等の眼を蘇生させることは空しい
そして私は一日中街をかけまわって
疲れて寝床に帰ってきてその中にもぐる
自由にふるまえ私のいのちよ、
朝と夜との間によりそれはないのだから、
飢えたら自分で自分の舌をしゃぶるのだ、
漂白の精神、
建物と建物との間を
自然な陰影を悲しみながら通過する
一日中かけまわる心の敷物、
帰りにはズタズタに擦り切れて
血まみれた旗印、
ばたばたと斃れている私の無数の死骸、
【納屋の中の青春】
ああ冬はいやだった
青春はコールタールを塗ったくられた
汚れたワイシャツの着た私達の人生が
納屋の中のような貧しい家で
おたがいの心も肉体も
ガバガバと鳴って暮らした、
いま漸く春がきて、
しかも習慣的に――、
沖からは塩気を含んだ風を岸におくってきた、
体はそのためにしめって、
私達は始めて人心地になった、
人生に冷たいものは冬と墓石だけで
人間の心は温かいものと思っていたのに
冬の間――、冷めたかったのは人間の心であった
墓よりも冬よりも冷めたく
月よりも、秋よりも淋しい奴、お前人生よ、
春が来て私をちょっと許り私を嬉しがらせたとき
なまぬるい風が、街では病人を死へ運び去った。
【霧の夜】
濃い霧は
私はうっとりとさせてしまった
一間先も見えない
そこで私は一歩一歩前へあるいた
すこしずつ前方が見えてきて
あっちこっちで
ざわざわと人の立ち騒ぐ気配がした
しかし霧は濃く
人の姿はなかなか現れない
なんて寂しいことだろう
しだいに襲ってきた霧は
すっかりと私をとりかこんで
わずかの空間をのこしたきり
私は正しくものごとを考え
正しくものを視透す場所を
誰か他のものの手によって
計画的にせばめられてゆくとしたら
それは恐ろしいことにちがいない
人々と心の連絡も切れてしまい
そして霧の中で
むなしく行きちがいになってしまう
いまはじっと立ちすくんで
晴れてゆくのを待っている
霧よ
晴れてゆけ
とおく轟と汽車のとおるひびきが
一層私を不安にする。
【大人とは何だろう】
わたしの年齢は立派になった
背丈ものびきってしまった
怖ろしいことと
幸いこととは
すべての人々と同じように私にも分配された
でもわたしはわからない
大人とは一体なんだろうと
もし私の鼻が喜んでくれるなら
鬚をたててみたい
もし私の唇が許可してくれたら
全部を語らずにいつも控え目にしゃべりたい
わたしはそれが出来ない
つくり声や、相手とのかけひきや、威厳の道具を
鼻の下にたくわえておくことが
大人の世界に住む資格であったら
わたしは永久に大人の仲間に入れない
わたし大人のくせに
大人の仲間に入ってキョトンとしている
勝手の分らないことが多いのだ、
思想と老熟などが
人生に価値があるものなら
わたしは明日にも腰をまげ
ごほんごほんと咳をしてみせる
一夜に老いてみせることも出来る
若い友達は
わたしといつも仲間に迎えてくれる
だからわたしは
額に人工的なシワをつくっておれない
たるんだ眼玉や、たるんだ声で
わかい精神を語れない
大人とは一体なんだろう、
死ぬ間際まで私はそれが判らないでしまうだろう。
【馬の胴体の中で考えていたい】
おゝ私のふるさとの馬よ
お前の傍のゆりかごの中で
私は言葉を覚えた
すべての村民と同じだけの言葉を
村を出てきて私は詩人になった
ところで、言葉がたくさん必要となった
人民の言い現せない言葉を
たくさん、たくさん知って
人民の意志の代弁者たらんとした
のろのろとした戦車のような言葉から
すばらしい稲妻のような言葉まで
言葉の自由は私のものだ
誰の所有(もの)でもない
突然大泥棒奴に、
――静かにしろ 声をたてるな――
と私は鼻先に短刀をつきつけられた、
かつてあのように強く語った私が
勇敢と力とを失って
しだいに沈黙勝になろうとしている
私は生まれながらの唖(おし)でなかったのを
むしろ不幸に思い出した
もう人間の姿もいやになった
ふるさとの馬よ
お前の胴体の中で
じっと考えこんでいたくなったよ
「自由」というたった二語も
満足にしゃべってもらえない位なら
凍った夜、馬よ、お前のように
鼻から白い呼吸(いき)を吐きに
私は寒い郷里へかえりたくなったよ
【馬車の出発の歌】
仮りに暗黒が
永遠に地球をとらえていようとも
権利はいつも
目覚めているだろう、
薔薇(ばら)は闇の中で
まっくろに見えるだけだ、
もし陽がいっぺんに射したら
薔薇色であったことを証明するだろう、
嘆きと苦しみは我々のもので
あの人々のものではない
まして喜びや感動がどうして
あの人々のものといえるだろう、
私は暗黒を知っているから
その向うに明るみの
あることも信じている
君よ、拳(こぶし)を打ちつけて
火を求めるような努力にさえも
大きな意義を感じてくれ
幾千の声は
くらがりの中で叫んでいる
空気はふるえ
窓の在りかを知る、
そこから糸口のように
光と勝利をひきだすことができる
徒(いたず)らに薔薇の傍らにあって
沈黙をしているな
行為こそ希望の代名詞だ
君の感情は立派なムコだ
花嫁を迎えるために
馬車を支度(したく)しろ
いますぐ出発しろ
らっぱを突撃的に
鞭(むち)を苦しそうに
わだちの歌を高く鳴らせ。