伊藤茂次

伊藤茂次(いとうしげじ)1925〜1984
1925年に生まれ。少年時代は養母とともに札幌市で育ち、20歳前半は市電の車掌をし、ある日、ふいっと札幌に来ていた旅役者の一行に入り、北海道を去る。その後、巡業劇団と分かれ、ひとり京都に流れ着く。太秦で松竹の大部屋俳優となり、その頃、結婚をしますが、1965年に妻をガンで亡くす。妻を亡くす少し前から詩作を始める。きっかけは、15年ほどの役者人生に見切りをつけ、中京区御幸町にあった印刷会社・双林プリントへの入社でした。社長・山前実治は同人詩誌『骨』のメンバーで、関西詩界のご意見番。そして社員には、後にH氏賞を受賞する大野新がいました。門前の小僧の要領で、詩を作ることに目覚めたのです。(当時高校生であった山前氏の息子が、テレビドラマ「天馬天平」の主役にオーディションで抜擢され、映画関係者が会社に顔を出すようになり、その縁で、伊藤が拾われてきたのだとか・・・)1964年、伊藤は大野氏の所属する「近江詩人会」に入会し、その後、100作に及ぶ詩を発表しました。妻を亡くした頃から酒におぼれ、年増の飲み屋のママに言い寄っては愛想を尽かされたり、アパートの自室に火をつけたり、知人に金の無心をして回ったり・・・、岩倉の精神病院に入退院を繰り返していました。そして、拾われた双林プリントもいつしかクビになり、修学旅行生向けの安宿で住込みの雑役をしたり、ホテルの守衛で食いつなぎますが、ついには生活保護を受け1984年に天涯孤独のうちに亡くなりました。

『伊藤茂次詩集 ないしょ』外村彰編(龜鳴屋/2007)

【ないしょ】
女房には僕といっしょになる前に男がいたのであるが
僕といっしょになってから
その男をないしょにした
僕にないしょで
ないしょの男とときどき逢っていた
ないしょの手紙なども来てないしょの所へもいっていた
僕はそのないしょにいらいらしたり
女房をなぐったりした

女房は病気で入院したら
医者は女房にないしょでガンだといった
僕はないしょで泣き
ないしょで覚悟を決めて
うろうろした

ないしょの男から電話だと
拡声器がいったので
女房も僕もびっくりした
来てもらったらいいというと
逢いたくないといい
あんたが主人だとはっきりいってことわってくれという
 のである
僕はもうそんなことはどうでもいいので
廊下を走った
「はじめまして女房がいろいろお世話になりましてもう
 駄目なんです逢ってやって下さい」
 と電話の声に頭を下げた
女房はあんたが主人だとはっきりいったかと聞きわたし
 が逢いたくないといったかと念を押しこれで安心した
 といやにはっきりいうのである
僕はぼんやりした気持で
女房の体をふいたりした

【休日】
目が覚めたら
すべてを忘れていた
毎日のくだらぬ
私のつぶやき
私がわたしに
はずかしいおこないの連続を

鈍感な冬の日曜日
ストーブの火が
ゆるやかに
燃えている
女房も
今日は苦情の言葉を
忘れている
仕方のない生活の姿勢の中で

白い雲が
少しずつ風に
おくられているのを
窓ごしに見ながら
私はみかんの
皮をむき口にほおばった

もう二度の食事もしてしまった

何も動かすことの出来ない
置き物のような一日だった
あとは酒をのんで
あくびをしたらおわり

【自分のこと】
死んだ女房に
だらしのない男だってしょっちゅう怒られていたもんだ
煙草も酒も制限され
市場へ買い物につれていかれ
女房の後から従いて歩いた
人混みの中ではぐれてしまい
お互に首をのばしてさがし合ったその時もおこられた
僕の方からおこるのではなく
女房の方からおこるのだから
僕はだらしなくなってしまうのだ

女房はおこって悲しんでガンで死んだ

僕はだらしのない男でもなく
かいしようなしでもないような顔で
女房のこつこつためた貯金をおろし
飲みに出かけ食いに出かけ
女にもてようと思って出かけるのだが
はかばかしくいかない中に
金がなくなってしまった
若い女と二三回つきあったが
人違いでもしたようにあっさり立ち去られてしまった
とんちんかんな僕の欲望はあらゆるところで的がはずれる

僕には見えないが他人には見えるのかしら

【姿勢】
いなり寿しやばってら
を酒肴に
おかきやら南京豆
ぐいっと酒をコップにあけ
ビールをコクコク
こんなことをしたい
この頃つくづく思うようになった
アパート代よ更新代よ
俺はますます困窮するが
負けるものか寿し食いねい
俺の酒が飲めねいのかい
寂しいことは無いぞ
酒を飲む時はこの気分が必要
肩を落として後姿は風情があるだろう
一人ぼっちの詩を作っていればいい
俯瞰で人生を渡っているのだ

【晴天】
草木の側にいると離れられない
誘われそうだ
小川も唄っている
僕の体はふんわり
浮きそうだ
会話もしたくない
うんうん
とぼんやりしていたい
服装ももうない
裸だ
どんな高貴なものも
この雰囲気にはかなわない
顔も脚もない
いい気持ちだけだ
目は頭上にある
此の日画家のおお方の色彩が駆使された

【或る安心】
入院中なので
三度の飯は必ず食える
昼間から風呂に入って
タバコを喫い
冷たいコーヒーも飲んだ
卓球もして脚はふらふらだ

六月十二日だから梅雨に入っているんだろう
今日は晴れて余り暑くもない
体はどこも痛くなし
多分死の風は
この調子だと
その辺を通ったりして
直撃はまぬがれるだろう