渡辺かおり

渡辺かおり(わたなべかおり)1959〜1976
1959年 4月25日、宇都宮の済生会宇都宮病院において、渡辺達也、節子の長女として生まれる。
1961年 生後1歳8か月で、幼児期表現の乱画を描き始める。
1962年 気管支炎症状が喘息に移行し、済生会宇都宮病院において治療を始める。10月末から鈴木信一先生にピアノの指導をうける。この頃より旋律、和音の聴音、書取りの練習を始める。また油絵を描く。
1966年 4月1日、壬生町立壬生東小学校に入学する。
1968年 3月17日、第8回栃木県教育版画コンクールで銅賞をうける。
1972年 2月12日、第2回下野教育美術展に入選し賞状をうける。3月22日、壬生町立壬生東小学校を卒業する。4月9日、壬生町立壬生中学校に入学する。
1973年 第3回下野教育美術展に入選し賞状をうける。
1974年 第4回下野教育美術展に入選し賞状をうける。第5回栃木県小・中学校作曲コンクール第1次審査で優秀賞をうける。下都賀地区小・中音楽祭ピアノ部門で最優秀賞をうける。
1975年 3月18日、壬生町立壬生中学校を卒業する。4月7日、栃木県立宇都宮女子高等学校に入学する。
1976年 5月30日、日曜日の行事として、学校内に花を飾ることにしていたので、この朝も前日に用意した花を持って、8時すぎの電車で登校し、10時頃帰宅する。その後アトリエでピアノの前で写真を撮る。自室とアトリエの花(マーガレット)を活け替え、ほどなく行先も告げずに外出し、午前11時半頃、東武宇都宮線の踏切りにおいて、自ら命を絶つ。

『花の使者 渡辺かおり遺作集』渡辺達也・節子 編集(渡辺達也/1977)

『野良猫』
野良猫が死んだ
自動車にひかれて
死んでしまった
もう陽は落ちた
野良猫は静かに目をつむって
生暖かい風が吹きつける路上に
横たわっている
血のとびちったそばに
水仙と椿や蓮華草が
かわいそうな野良猫を憐れむように
そっとおいてあった
あたりはうす暗くなって
夕闇がおとずれようとしている

『無題』
通りを歩く人よ!
見て下さい この部屋を
ここには ここにあるのは憂いだけ
見て下さい この空を
この空にはなんにもないのです
ああ貴方達のうち何人が
このうつろな瞳に気づくでしょう

『無題』
貧しい詩人の涙を焼かせるのは
黒いセーターの娘だけ……
ごらん!
詩人は独りで紅茶を入れなければ
ならないんだよ
古びた裏町のアパートの2階
ちっぽけな部屋なんだよ
窓辺にはカラジュームが1鉢
置いてあるだけ沙
机の上のインクびんも ランプも……
春には小鳥が歌うけれど
秋には枯葉が舞いこむうす暗い部屋!
壁の肖像の微笑も消えた
「黒いセーターの娘は何処にいるの」
詩人は独りで紅茶を入れなければ
ならないんだよ

『夢想(Fve davle)』
貴方は立っている
吹きすさぶ木枯の中に
背を向け立っている
貴方の足元を枯葉が駆け抜け
ガランスの斜陽は
貴方の白い頬を染める
乾いた路上を歩く貴方に
やさしい面影が通りすぎた
何処からか聞こえるチェンバロの音にも
貴方は木枯に吹かれて
乾いた路上を歩きつづける
肩をすぼめて
眉をひそめて
やがて家々の窓に灯がともる頃
貴方の後姿は
黄昏の中へと消えてゆく

『無題』
屋根の上の小鳥
小鳥は病気なのです
ただ小雨にぬれそぼって
誰も看病してくれる人がいないのです
この上は雨が止んでくれることを
私は祈るだけです

『無題』
窓辺に置いてあるシクラメンの小鉢は
いつの間にか春が来たので萎れました
花びんの花も帰らぬ主人を追うようにして枯れました
残されたのは 残されたのはドアの開いた音だけ

『無題』
花びんの華も萎れました
ピアノの音もとだけました
書きかけの五線紙は
一体どこへ行ってしまったのでしょう
回転窓はしまりっきり
ノクターンも聞こえません
インク壺にはまだインクが残っていますが
聞こえるのは
あれはポプラの葉のささやき
みんな何処へ行ってしまったのでしょう
あとに残っているのは
一片の乾いた時間だけ