若松千代作

若松千代作(わかまつちよさく)1913〜1934
岩手県江刺郡岩谷堂町に生まれる。1928年岩手県師範学校本科入学。1930年、岩谷堂町発行の謄写詩歌誌「ともしび」に最初の詩【夢と現實との間で】と【その男】を発表。翌年「岩手日報」に三篇、盛岡の若い文学愛好家の雑誌「銀の扉」に1篇を発表。1932年、詩篇を携え及川均(1913-1996)を訪ねる。同年、詩誌「天才人」同人となる。また謄写詩誌「河馬」を発行する。1933年、師範学校を卒業し教員として勤務する。佐伯郁郎らの「文学表現」同人となる。1934年、佐伯郁郎らの「風」同人となる。9月 痔疾患のため仙台で入院・手術。翌27日、脳膜炎を併発し意識溷濁に陥る。11月死去。

『若松千代作遺稿集』菅原章人・及川均・岡崎守洪編(文明堂/1938)

【雪の蔭】
(その1)
お前の見たのは、
お前のそつとたたずんで見たのは、
街燈に群れて、
闇へ散りゆく雪のかげ。
チヤラメラ、お前ぢやなかつたか。
ユスリ、お前ぢやなかつたか。
火ツケ、お前ぢやなかつたか。
お前はサラサラ粉雪をかぶり、
遠いあらぬ方に目をやり、
血を、
あたたかい血をのんでゐる。
おかへり、おかへり、
一番鶏の鳴くころだ。
お前のおつ母さんが、
泪して子守唄をうたひなすつた
あのころだ。
(その2)
川の面を流れて、
酒造り唄、女の囁き。
雪明りにお前は誰、
わたしは雪男。
わたしは雪明りにひとり道を急ぐ、
牡の狼。
行手を聞いてくれるな。
この雪明り、
今朝見た水鳥のやうに、
わたしは元氣だ。
わたしはかける。
十里、二十里。
わたしは長い旅に出るのだ。
ホラ、唄と囁きと匂ひがいつぱい。
いゝえ、
わたしは還つて來ようとは思ひませぬ。
(その3)
お寺の籬の下で、
わたしは呟く、
わたしの骨は野ざらしにしておくれ。
こんな暗い晩誰も見ちやゐない、
ぢいつとたたずんで、
かみ、くび、鼻と、雪をつもらせ、
わたしは骨へ教へる。
「誰かがそつとうづめたら、
ひとりでぞろつと出てならべ。
たとへば雑草の中、籬の根、
たとへば綠の下、さらし臺」。
一足でも歩んだところ、
その場にほつといて、
わたしの骨はのざらしにしておくれ。

【ニハトリ】
午前二時、ねぼけた鶏の東天紅。
あいつは狂つたねむり時計です。
時刻を眼で見たんぢやありません。
早寝したのを忘れてよい時分と決めたのです。
全くあいつには困らせられます。
天の河が美しい夜です。
かへるがゴハゴハ騒ぐ夜です。
あのニハトリは雑種ですから、
この風土によくなじまぬのでせう。
アレはひねつてくはれるために移入した筈でした。

【櫻の下にて】
(流轉詩篇1)
深閑と、ちるはなのあまた。
さくらはやがて若葉の綠につつまれて、
黑黑と息吹するであらうに………
深閑と、ちるはなのあまた。
いとよ、
私は體から血をしぼり出してちらさうよ。
さくらのやうに初夏をくろぐろとかざるよりも、
いまの季節、春をかざるには、
私は血をしぼり出してちらすより他はない。
いとよ、恐れることはない、
千代作よ、恐れることはない、
わらつて、わらつて、
私達は血の花を咲かさうよ。
私達は血の花を散らさうよ。

【訣別】
(流轉詩篇2)
みえるから眼鏡をとつて投げた。
かきむしつて苦しんだ。かみを切つた。
でも殘つてゐる奴がある。
子供達は知らぬから、
「青坊主をかしいな」と云ふ、
わらつてくれ、わらつてくれ、
千代作にき故郷がない。
友だちは首をしめてはくれまい。
いらないよ!
俺はあいつが生きてゐる内は死ねないんだ。
あいつが此處にゐる内はここを去れないんだ。
おい、俺に活路がないといふのか、
馬鹿奴ツ!
   ●
お前の心は氷室か、
閉ぢ籠つて出て來ぬ北方の民族か。
私へ微笑み、
私の世長けたしゆんじゆんに、
カツと傷手を負うて逃げたのか、
おおい、おおい、
私はこのやうに旅衣をつけてきたのに、
お前はひとりでどこへ行くのか、
傷手が癒えたら還つてこい。

【高原にて】
この、花のひらく時のやうな甘さに飽いた。
日日に濃い、稚葉の林をかきわけて、
辛夷の花のまつさかり。
自然の意志なる岩脈は
苔の下、花草の下、野茨の下。
この岩脈の高原に
春を吹き上げ咲きほこる
鏡のやうなこぶしといふ花。
獨りなる淸さとは、
ことみなすべてに肯づくものとは、
ひつそりと氣高い、
辛夷のやうなものでせう。
言葉とは、
雑草の間にちらばつた
研ぎすまされた岩角を、
ゆるがすときに出るのでせう。
愛を呼ぶ銀のやうな漂雲は、
瞬かせ人の心にかげつては
泪をあつめてすぐるでせう。
縹渺と在るものどもの生命らが
格闘か、
自殺かと叫び狂ひわめくのも
花一輪言葉一語をつくりだす
自然物の一つに化したいためでせう。

【鈴】
ふるさとの夕暮れどきに
私は默つて
鈴をふつて居りました。
私はその時
郷愁を噛んでをつたのです。
 山山の林はみだれ、
 細道は夏草に埋れて、
 かたくりの花さがした谷間に立てる煙突は人焼場。
 目にはうるむ遠き山脈と鳴く鳥の聲と。
 駈けてとほるわたしのうしろに
 あまたのボロとしはがれた聲と、
 ああ夕日のおとす影もうすく流れ、
 わたしの前をとほるものは
 エプロンとざる、リヤカー、自轉車。
 子守娘はどの道を歸つたのか。
私の喪ひし時は
私がかつて生きて居つたことの證左とはなつても
いまは空しい流れて還らぬもの。
この茶褐色の傷あとを指して
これをも花だと教へてくれるか。
私の故里はどこなのだ。
私の花園はどこなのだ。
 裏切つた一人の女、
 裏切られた一人の女、
 いつしか私の半身は陰影を浴びて
 さみしい微笑を知つてゐる。
 肉親のすべてを喪つた宗平の道、
 クレゾールをのんだ失戀の女の道、
 わたしはそれもよからうと答へてしまつた。
誰かわたしが生れた意味を知つてるか。
諸々の神々よ、諸々の聖たちよ
ちよつと待つておくんなさい。
私はとにかく電柱にも聞いてみなけれやならないのだ。
私は默つて鈴をふりつづけて居りました。
屋根裏の二階へ家人を避けて
小さな障子の明りを心にうけ
友から戴いた遠い南邦の鈴のふるへに
郷愁の灯をかきたててをつたのです。
ふるさとの家に居て
私は郷愁をかんでをつたのです。

【灰皿】
鐵の灰皿を叩いてゐたら、
澄んだ鐵の音が響いて來た。
それは私に覺えのある音だつた。
記憶をたどつて
私は無心に灰皿を叩いてゐた。
私の頭蓋の下には一枚の美しい繪が浮び出た。
……幼き日朝毎に
私は鍛冶屋に叩き起されたのであつた。
澄んだ鐵を鍛える音は
朝の淸澄な空氣にのつて
かなりの距離を越えてやつて來た。
心耳!心耳! おきなさい!
その美しい聲、
私はどうしてあれを聞くことが出來たのだらう。
朝毎起き上つて
私はその美しい音の消えて行くところを知らなかつた。
美しきもの!
夕となれば、
夕暮の煙の中をなほもさみしく
幼年の思慕をさらつて
何處へともなく消えて行つた。
私はいつしか還らぬものにとらはれてゐた。
私の死んでしまふのは一體いつの日であらう。
故里を去つて埃にまみれ
美しき聲をとらへることも得ず
私は遂に大人になつてしまつた。
私は生きて來たのだ。
灰皿よ!
最早私はお前を叩いて
お前の出す音を捉へようとは思つてゐない。
私はお前を叩いて微笑んでゐるのだ。
なつかしいぞお前と逢へて、
私はこれから
私自身を叩いて見ようと思つてゐるのだ。

【傷に耐えて】
俺はもうこれつきり默らう、
これ以上喋ることは弱いのだ。
この遂に減(き)えざる胸底の炎を
こいつを胸から投げ出して
あとはクルリと後を向かう。
早く季節は春から夏へ
そしてもう空には秋の色が澄んでゐる。
此の世に「さやうなら」といふ言葉があることに氣がついた。
俺は笑つた。
ホウー、さやうなら。
そして俺は眞黑に焼けて日まはりのやうに笑ふことを
 美しいと思ふやうになつた。
俺は強くなつたのだ。
人と人との間に刻まれた
奈落の血の池のやうな溝、
最早そのやうなものなど問題ではない。
唯一筋の眞實を守つて行くこと
唯一心に傷口の傷みと闘ふこと
それはそれのみで尊く美しいことである。
いや正しいことである。
確にさうだ、
人間の自然に生くる輝かしさ。
そこでは
自轉する地球と共に
時の過ぎて行くことはうれしいのだ。
面を上げて、
俺はもうこれつきり默らう。
言ひ切つて見ると身内に力が湧いて來た
もう俺の痛みを訴へて居たあの姿には同情しない。
俺は痛みと闘ふことが眞實であると知つた俺への情をかける。
強くなつたな。
俺はその時目と口を閉ぢてフウンと笑うた。
俺は健康になつてゆくだけだ。
見える
胸が逞ましくふくらんでゆくのが見える
さやうなら!

【無題】
ざくろのやうに身體が裂けて
朝陽夕陽に血は吹き出て
俺は確に生きて居た。
助けてくれ
そんなこと一言だつて言ひやしない。
殺してくれ
そんなこと一言だつて言ひやしない。
たつた一言、
ボロ切れのやうに君達には見えても
俺は俺の眞實に
愈よさがしあてた人間一匹としての眞實に
ぶつつかつて行くだけさと喋くつた。
小さな時間のくひちがひ
人と人との紙一重の差
そんなことは問題ぢやない。
いまおれはふるさとの山河と
俺を去つた俺の片身の女へ
さやうなら と頭を下げた。
ヂタバタ騒ぐんぢやない、
靜かに、
獨りなる淸さに強く
生きて行くのだ。
古い新らしいの問題ではなく、
このやうな眞實に生くることこそ、
太古からの唯一つの道なのだ。

【色褪せし風景(一)】
或る日
ひえびえと粉雪(こゆき)ちらつき
薄暗く風はそのやうに吹く、
かと思へば
ポカポカと日がこぼれ
薄氷(すが)がざくりと音たてて流れる。
おらそんな日に
柳が芽つこ出したかと
川邊の赤い柳に沿うて下る。

【色褪せし風景(二)】
私は悲しい夕暮時を
山上に闇のやうにうづくまつてゐた。
石は季節をうつし
日ざしにも身内にもつめたく、
私はよりそうて呟くが
石も冬はかたくなに默す性格(さが)をもつ。
既に遙か未知の友は雲の陰影(かげ)にかくれて、
私は足許の町に灯ともるとともに
己れの心にも一つ一つ灯をともし
またたかせまたたかせ
何か來るものを待つてゐた。

【夜から夜まで】
昨夜より母を求むる幼兒(おさなご)の
ないぢやくり
耳に憑ききり
我が眼は獣のやうに燃え立つ。
莫迦!
奴等金で子供を育てる氣か……
私は外の冷氣を吸ひ
風を物のやうに受けてゐた。
一人の子供が倉の前に小便をしてた
みればなんだか靑い雑草(くさ)がある。
子供は
どうかしてこの雑草をきびしい冬から
護らうとしてゐるのであつた。
私は歩む 歩めば
雪のふるぬかるみに
古金を無爲に金鎚で叩く音を胸に受け
なにか落ちてゐるやうに眼をさらす。
私は家家の裏の
水溜りと紙くづの間をぬうて坂に出た。
坂には土のやうなボロから手足の伸びた子供が三人
まつくろなくるみを石で割つてゐた。
私が笑へばそれ等もなつかしさうに
白い牙のやうな齒で笑ひ
どこへ といふ。
私は山に登り
折からの夕焼に
眞實の金色を
眞實の愛を受け
山をかけ下り
寝床にもぐる。
そしてなにもかも凍てついて冴え切つた月夜を
己れのぬくみで
身内がいつぱいになるのを待つてゐた。

【春の氣配】
雪を根元に固く積み
樹木らはいま春を待つてゐる、
つよくしづかに梢は赤らみ
ほのかに生れたぬくみをともし、
明るさを増してゆく
來の日來る日を送り迎へて
きびしさの中をやはらかに微笑つてゐる。
私の身内には五臓六腑の張り切つて
丘に終日を立ちつくす
若駒の群が住んでゐて
日日戸外(そと)へ戸外へと春をいななく。
いま季節は冬を破いて
綿のやうな春の雲を垂らし
なつかしい旅をゆるやかに始めてゐる。
私は潜情をたたへて
靜かにそれらをみてゐる。
私は新らしい旅立を想ひ
唯心ひそかに微笑つてゐる。

【朝陽の中の孤獨】
さうは思はないのか、
今は他人である友へまなじりを向けて
山のやうな思ひを必死にうちつける。
(むろん俺はあいつについて一つ位しか知つてゐない)
私は己れの身内に光りかがやく
なつかしい光源をみつめ
ただ一つのことのみを思ふ。
ふと、
白紙の汚點にも見ゆる
かすかなるあいつとのつながりを思ふ。

【立春】
朝陽の中の孤獨を書き
なにもないやうな心となつてしまつた。
風景は、
霜を塗つた裸形の木木が
朝陽をうけて
白樺の林のやうでも
針の林のやうでもあつた。
むらさきもみえた。
私のあいさつはそこから還つて來たやうだつた。
おつ母さんただいま、
私はいま朗らかに
地下の母へ言葉をおくる。

【故里へ歸る日】
襤褸(つづれ)なびかせ
日溜りを慕ひて
坂を下る。
風にふかるる
山上のけはしさを
積み置きしくるしさを
いまはかなしく微笑ひて撒く。
よし吾は泥人形(でこ)のごとく總身に恥を受けん。
群鴉(むれがらす)は毎日人の死を食うて生くるのだが
私には生命を盗まれるおそれはない。
私はわけもなく微笑つて
死んだ人達へ
「ただいま」と挨拶する。

【棄兒】
夜だつた。
地の果へつづく巾廣の新道に
雪が靑く光つてゐた。
右側は巨木の林で
葉のない枝が鳴つてゐた。
左側はどこかの長い塀だつた。
俺はそこで可哀相な赤兒の泣き聲をきいた。
どこだらう
俺は方向を確めようと佇んで目をつむつた。
だが誰でもなかつた
俺が泣いてゐた。
棄てられた赤兒は俺へ泣き聲をうつして
誰かに拾はれて行つたのだ。
俺は泣きつづけた
なぜその親切な人が俺を拾つて行かなかつたのか
なぜその親切な人が俺へ一言も言葉をかけてゆか
なかつたのか。
俺は赤兒のやうになきつづけるのであつた。

【鐵鏡】
その鏡は
空が鉛色になればなるほど
つめたく白く澄む二本のレール。
そいつは
人の世の幾億千萬の
出來(でか)しごとをうつし
その日ふつてきた
一片(ひら)二片(ひら)づつの粉雪にまたたく。
空とレールとの間には
昨夜(ゆふべ)醉うて赤兒のやうに泣いたあいつや
爐邊に歸り來る日を待ちわびる祖母を尚もすてて
自ら悲しく喰ふ物の味氣なさをかみしめてゐるあいつや
人の眼のけはしさを饒舌(しやべ)る愚婦(おんな)達やが
點滅してゐるだけであつた。
私はふとそいつらを越えたらと思うたが
さて空をみやれば
灰色(あくた)の氷層雲の上に一體何があるのか
それにさへ思ひ惑うて
昇天もかなはず
私はやつぱり二本のレールに沿うて一ひら二ひらづつの粉雪
をひろつてたべて行くよりどうにも仕方がなかつたのだ。

【日記】
雪解け天氣
出でもせず
内に火を焚き
屋根に鳩の鳴くを聞けば
微笑ひきれざる
うれひかなしく
子鳩のつたなさを聞けば
なほもくるしく
いつはりしむくいの
來たらんとする
氣配のけはしさ。
なにものにより
朗らかに微笑ひ得るか
ゆるしあらんと思はねば
愚かとは知りつつも淸明(あか)さず
骨肉のごとく親しけれど
他人なれば淸明さず
如何にして無理にも
微笑ひ得るかと
終日を想ひくらす。

【夜の記録】
幾夜想ひ續けたことだらう
肉親とは一体なんであるか
友とは
をんなとは。
唯見る暗闇の底ふかくつらなる
金色のいとほしの齒車へQQQと廻轉する。
人人は遙か月の下村里のあかりを出でず。
私は山脈(やま)の黒熊のやうに
胸にほそき月を吊るし
ノツソリ ノツソリ
夜から晝へ晝から夜へ
旅をつづくる二足獣
歸心興らば興るまま
素直にねむる二足獣。

【千代詩篇】
お前は明け暮れ
きちがひの系圖を抱いて默つてゐる。
お前には激しく斷崖につき當る性格(さが)がある。
お前には愛に満てる胸のやうなほこらで安らかな端座をつづ
くることだけが生活だ。
千代よ
こちらを向け
お前には泪ぐむで系圖をつかみ
外へかけ出す匂ひがする。
俺は火のない火鉢をかかへてゐる
お前は俺へ正面(まとも)を見せず
わきを向いて坐つてゐる。
千代よ
いま終日(いちにち)の雪降りは止むで
夕暮が靑い空をひろげてゐる。
この一時だけでも
さあ立上つて靑い空に微笑ふのだ。

【我が歌】
靑いナツパ漬と
靑いゑんどうの味噌汁と
唯それだけが
毎日の生命の綱。
何を食はうと糞は糞
生命あれば爲すことを爲す。
さうさ
男なれば白い天氣の日
黑汗を流して苦しむ。
さうさ
男なれば苦に耐えて
黑汗流して働く。

【秋日】
霜の如く日を照り返す秋みどり
落すともなく落すその陰影(かげ)にもたるる憂鬱。
一塊の乳雲に蟲の鳴く音をはじかせて
秋はその日その日を漂流に送る。
遠山に過ぎし日の夢を懸け
意欲しつつくるめきて空に融く
高き淺黄色の空戴く石地蔵。

【炎上】
寒さが細く流れてゐる
人のぬくみが匂ふてくる
去年ストーブが抜いた壁穴が
白くひかつて額にうつる。
風景 1 枯れつぱと霜とんぼと
風景 2 スレートの屋根、歌麿の松、懶怠。
風景 3 死んだ母は霜の日に菜を洗つて漬けるならはしを固く守つて。
おお
私はペンをがしつと握つて頭を上げた。

【朝霧】
濃霧は白い風である。
白い風に雑草(くさ)の露が霜の如く光る。
あれは松であつたらうか、杉であつたらうか。
小鳥は行きくれて悲しく叫けぶ。
私は鳥肌立てて
止つた。

【北へ】
稲妻が額に狂ふ
稲妻に山脈(やまなみ)をのぞく。
遠く白くぬかり道がつづく
うしろ市街の上空に闇の下を浮遊する白雲があるらしい
わたしにうすい影がある。
歸つたとて何もわたしを待つてゐない
うつむいても遠く雲の裏に稲妻がある
あれにひかれる。
引かれながらわたしは白い道を右肩で歩いてゐた。

【松街道】
しいんと仔犬は
長い松街道に松かぜを聞き呆けた。
たたき殺された野良者の幸福は此處に咲く。
此處にはいつも心を磨る鳴りがある。
遠く空を渡る思ひ出に、
松並木、からまつ林も
一つに固つて遠鳴りを斷續する。
次第に仔犬の胸には鬱積して行くものがあつた。
さて仔犬は
天を向き前肢後脚をそろへて
憑かれたやうに吠え出した。
うつすらと
自分の聲が耳に流れ込めば
それがそのまま心へしんみりとしみ込んで行くのを感じた。
松かぜ、松かぜ。
うすれ行く肥車(こえぐるま)にからまるうるみ。
満月が昇天して來るやうな氣がして、
風は先祖の花を吹いて來て、
どこからか死んだ母があらはれて來るやうな氣がして。
仔犬は日暮れても
歸らうなどといふ氣は少しも起つて來なかつた。

【假睡】
戸外(そと)は月夜
遠くふるさとの鼾。
まぶたはとぢて
母の死骸を前に
泣いぢやくる乳飲兒を
ひしといだき
しくしく途方にくれる。
ふとんのえりに月がこぼれて
まぶたはとぢて……。
   ×
内部(なか)に巣喰ふ
一つの生物。
わたしは病身となり
鼾を盗む
土へ埋める。
土の中には母がゐて
わたしのひみつをたべちらす。
そして生物はうれしくうれしく跳び廻る。

【どぶねづみ】
煙が幼兒のいたづらのやうにのたうちまはる。
あゝ美しいろうぜきの跡だ。
あたかも處女雪のごとく。
骨の見ゆる野良犬が一心に地面をかいで急ぐ。
幼兒がやうやく窓へはひ上りしきりと外を戀ふ。
仕事場のベルトが又一雨降らせようと懸命だ。
強いせんりつの歌が地底からひびき
ふしぶしがぎゆうと重壓を感ずる。
おい跳び込まうか。
雲が流れる。雲が流れる。

【鯉のぼり】
陰黑き松林の中なれば
頭を垂れて
絶えて季節の音を聞かざりき。
   ×
林抜け出し一軒家
畑中に鯉のぼり直と立ちしづみかへれり
ふり仰げば
いろどられし紙の鯉のぼり
ぎこちに狂ひてあり。
   ×
故郷の古めかしき紙の鯉のぼり死せる母
おもはれてさびし
噫・吾れ故郷へ歸らん
歸りて、かの古るめかしき鯉のぼりの
くさりを斷たん。

【鯉のぼり】
風が鋭い
鯉のぼりは
革むちでたたかるる如くあはれなり。
   ×
ふくらめばうろこはかがやき
ひしげ折るればぢりぢりと苦しさは増す
糸を切れ、糸を斷ち切れ
所詮昇天がかなはぬならば
地に墜ちて土を掘れ。
   ×
いつか、いつか
伸びし芽は必ずや昇天するにちがひない。

【アワワワ】
まんまろいお月夜だ
みんな天を仰いで腹の皮をのばしてた
その頃
あるたんぼで
爺が腰をたたき
婆も腰をたたき
その息子と
その嫁と
無理やりに
稲をかけてた
――もすこしだ――
つぶやいて
爺が腰をのばし
婆も腰をのばし
ふり返つて孫を眺める
孫は鼻水をのんで
十五夜お月さんの唄を忘れて
アワワワにけんめいだ
寒いにちがひない
ひもじいにちがひない
だが両親の傍にゐたいのだ
孫は總身の力をふりしぼつて
爺も婆も顔をゆがめて
さみしく笑つて
トントンと腰をたたき
コンコンとせきをしてた
その晩は
まんまるい
みんなが
くりや枝豆食ふ
十五夜お月さんの晩だつた。

【飼犬の遠吠は】
犬の遠吠えは何かのしらせだといふ。
   ×
霜のあとから半月が落ちて
それから遠吠えがはじまつた。
痩躰の四肢をつつぱつて
はるかなる半月に吠ゆる
この臆病犬奴何をわめくか。
ぬすつと犬なら
まづがぶりとかみつくものを。
   ×
この臆病犬奴が何をわめくか
かつてそれは美はしと
呼ばれ唄はれはしたが
最早このこの臆病犬に至つては
その遠吠えは世に
ぬすつと犬への降伏と
己が敗北とを告ぐる
あはれなる滅亡の唄でしかないのだ。