好川誠一

好川誠一(よしかわせいいち)1934〜1965
昭和九年五月九日、福島県大沼郡本郷町に、陶磁器業を営む両親の長男として生まれた。幼い頃は、きわめて腕白、生傷のたえることがなかったという。故郷の新制中学を卒業し上京。下町の印刷工場に働きながら、精力的に詩作をはじめ、今の「現代詩手帖」の前身である「文章倶楽部」に詩を投稿。しだいに、選者の鮎川信夫、谷川俊太郎らに認められるところとなっていった。昭和二十九年の終り頃、「文章倶楽部」の投稿詩人たちと共に「ロシナンテ」というグループを作った。グループはたちまちのうちにふくれあがり勢力的に雑誌を発行したが、昭和三十四年に解散した。「ロシナンテ」の解散後しばらくして結婚し男の子が生まれた。1965年六月の末、山梨で静養中、ノイローゼが高じて自殺した。

『海を担いで』好川誠一(ロシナンテ詩話会発行/1956)

〔好川誠一に関する記事〕
「好川誠一とその作品」 石原吉郎  (『詩学』 1965年10月号)
「澄んだ日あるいは日々」 江森國友  (『詩学』 1974年12月号)
「好川誠一 毬買うか死者より遠き冬の山」 粕谷栄市  (『詩学』 1974年12月号)
「好川誠一のこと」 吉田睦彦  (『詩学』 1974年12月号)

【花よおかえりなさい】
かなしいぞう
さみしいぞう
うおん うおおん泣こうではないか
きみよ きみは買われたのではない
時間が売られただけではないか
脂肪太りの男のエゴに
きみよ きみのおしりにそつと
手をやってごらんなさい
ほうら
きみにはしつぽがないではないか
けものたちはきみをなかまにしてくれないのだよ
そういうきびしい おきてがあつたのだよ
きみのこころの花は造花ではなかつたから
きみのひとみの湖は灰色をこばんだから
きみのほほの太陽は燃えきつていないから
月はあまりに皮肉だけど
いいんだよ
花は あくことのない永遠の美がほこりなのですよ
おかえりなさい
おかえりなさい
ただいちどだけ
おもどりなさい
どこかで きみはうまれ
どこかで きみははぐくんだのです
〈ちつちやなからだのどこにあの 大地を震わす呱呱のこえがひそんでいるのでしょう〉と
くびをかしげた ひとだけがしつている
せい いつぱいのこえをはりあげて
きみよ 泣こうではないか きみよ
きみよ なみだをわすれた きみよ
うおんうおおん泣こうではないか

【あかごをうたう】
せかいじゆうのははのちぶさ
じゆんすいぬすとのあかごたちよ
こんこん
ねむりつづけることができますか
うみのむこうで
ゆりかごにかなりやはいまも
ないていますか
みどりがあまりにういういしい
あなたたちのかあいいひとみにのみ
どしてすべてのいざこざばかりがうつつてしまうのでしょう
ほら
あれはどこのくにのこもりうた
ねんねこにくびをうめて
ぼたんゆきにほほずりされて
そうそう
しまは
につぽんのきたぐにです

【牧場の証人】
つりばりをのんだのはあの娘ですか
のましたのは あなたでしよう
だんだら坂にめぐる柵がありまして老いた
羊の群のなかに少年が捷つこそうな眼をしばたいていたのにお気づきでしたかのちに
おどろくべき証言をする
あの娘の立派な 代弁者となることに

【あなたも わたしも】

しりのあおい
あなたも わたしも
——ピリオードはそのとき
うたれたのです

はだかで うまれた〈罪〉
はりあげた 声の〈罪〉
にぎりしめた こぶしの〈罪〉
むしやぼる乳房の〈罪〉
〈罪〉は
せんなく
〈時〉を売り歩く


ふくろうの目は実
揺れる林の巨大な
サザエのうすのなか
終点のない
目盛の上に佇ちすくむ
あなたも わたしも
善良な商人

〈時〉
〈時〉を売る

【水平線へ叫ぶ】
しめりをおびた麦藁シヤツが落ちている
磯は
蟹の匂いでいつぱい
しゆおお ろろおん ずああざあ
しゆおお ろろおん ずああざあ
防波堤がある
灯台がみえる
漁船が
遊覧船が往く
とおい とおい水平線へ
見分けのつかぬすつぱだかになつたら
意味がなくともいい
叫ぼう
がむしやらに双手を振ろう
いいな
いいな
すつぱだかはいいな
膝小僧のあたりまで
しやあわあ しやあわあ
からみついては去つてゆく
しろい蛇ども その
くすぐつたさのなかにひそんでいる
〈生〉
おおい!おおい!
しゆおお ろろおん ずああざあ
しゆおお ろろおん ずああざあ
かき消されても
叫びつづけよう
砂がくずれても
たちつづけよう

【障害物競走】
ぴすとるが
くしやみのようになつたとき
お洒落なからすは帽子をおとし
はずかしいあしうらを
おもうさまのぞかれてしまつた
すたあとしたおれたちはなまいきざかり
いつせいにたばこをくわえていた
はやくも無情
おれたちはおれたちの
おおぜいのをんなを発見したのだ
二人三脚が ほうぞうではじめられた
があれは おれほどうやらをんなをとりちがえたらしい
手をやると あてがうそのぶぶんからきまって溶けてしまうのだ
ありあまるをんながいて おとこのおれたちにも余分がいて
こどもが そちこちでうまれた
おんなこどもにしやぶられて すまあとになるから走れる競技とか
おれたちは 潜つては出 出てはくぐりしたいわゆる細くぐりだがあみはかなあみ 工場である
その臓物のいろんな機械 生産用具を超え くぐりするので
だいぶひなたのにおい 人間のにおいがうすれてきた
おれは煙突のなかにいた あきらかな規約違反を承知でやつてのけた
なぜなら そこからは忘れていた 空がひときれ
からくりの のぞき井戸よりなによりとおいふかい空が
みえるとしつていたからだ
決勝の褒美をおおしえしよう
それは かつてのおれたちのようにこどもたちがすたあとらいんにふたたびひざを折つたとき
人間のにおいが あらゆるものに吸いとられうろこをこかされたさかなのようにそつけなくなつたとさ
日本的な あまりに日本的な ざぶとんがいちまい
おれは菊の花のお浸しが食べたい

【本日は晴天なり】

台所で味覚し
公園の暗がりではキスをする
ヒルのようなくちもとから
あれがほしい
これがほしいとせがまれると
忘れたためしがいちどもない
怪魚のようなハンドバツクにくびをかしげ
うつかり承知してしまう男は
そんなときがたつと小さくなる
デパアトにはじじつ
割箸が売っていた

ナベ 茶ワン
一切の必需品をたずさえて
女はおずおずとやつてきた
それから 男ははたらいた
もくもくとはたらき
女と食事を順調にした
変つたことは
好物のタマネギに少しずつ
女が似てきたていどだが
それだけで男は
まえよりがたつと小さくなつていた

台所で味見し
公園の暗がりではキスもする
くちもとからささやかれ
ぶつちょうずらしたのはさきごろだが
その表情のほごれぬうち
誕れた
タマネギのような女が
タマネギのような子供をうんだ
ふしぎでもなんでもないが
そのじじつに男は
ひときわがたつと小さくなつた

男ははたらいた
でかけにきまつてミルクをつくり
眼がねの位置をそれからきめ
ボロ靴をこすり
ただもうむやみにはたらいた
ひがしずみ ひがのぼり
ひがしずみ ひがのぼり
鳩舎のような工場の門を
出たり ひつこんだりした
ために男は目立つて小さくなった
がたがたつと小さくなつていつた

女はタマネギをよくたべた
たべるほどに
ほうせんかのように愚痴をはじいた
ますますすり減つた男は 小躍りして
ハンドバックにとびこんだが
その中にはつづみのようなリンゴの芯と
ドロップのようなイヤリングがひとつ
うすめをあけて外をのぞくと
ひざをくずしたばかでかい女が
外来のようにボロボロ
なみだをこぼして泣いていた

【処分】
ただののんべえがくたばった
「菊たけなわの季節だから まずは本望だろうよ」
さきころ女房にさよならされ
しよん便くさい アパアトに巣喰つてたやつだ
みよりも これとてないので みんなして葬ることにし
どぶ板跨ぎ 運動会の旗のようなオシメのしたうぃくぐり抜け
行ったら ゆうびんが二通とどいていた
ひとつは督促状いわずもがなの税金だが
あとのは「案内状で地図にちげえねえ
こう寒くちや ほとけさまも戸惑うだろう
どこどこまでも」つかのま
うらをかえすと聞かぬなまえ
しんばし・チサとかいてある
「ちよつ 臭さの引越したら勝手によめ」
供えるものをべつだんないので
やつの位碑のまえに添え お線香をたいてやった
いつのまにか がてんがいかぬがまつたくいつのまにか
あけた徳利のように 覗いてもふつてもなみだは
居合わせたおれたちにかぎり 一滴だてらにこぼさない
この分では玉ねぎしこたまひつしでむき
舌にワサビをこつてりのせてさいそくしても
みんなして埋めた むきになてて穴ぼこつくり埋めた
埋めるのは 邪魔 つけだからも一理だが
とどのつまりの からだをはつたサイコロがころがりどこねた
もときたくらがりでふりだしへ処分する意味だ
喪くなつたのがじじつでも
再開不能がたしかでも泣けぬのは
天ノリMEMOのはがした一枚にすぎんからだノンブルのない
飲もう とむらいが済んだら用意の焼酎をあおろう

【死にたいというやつがいう】
死にたいというやつがいう
「死ぬと花になるんだ」
生きたいというやつがこたえる
「死ねば石コロになるんだ 道ばたの」
死にたいというやつがいう
「死ぬと花になるんだつてば」
生きたいというやつがこたえる
「ばかこけ へでなしいうな」
死にたいというやつがいう
「死ぬことはむずかしいんだなあ」
生きたいというやつがこたえる
「それが簡単なんだ」
死にたいというやつがいう
「めんどうなんだが なにごとも」
生きたいというやつがひらきなおる
「ホ 本当に死にたいのか」