山中富美子(やまなかふみこ)1912〜1936
1914年(大正3年)1月15日 岡山県倉敷町に堀内喬・さわの二女として生まれる。四歳のときに、山中馬太郎・伊勢夫妻の養女となる。養父の仕事(鉄道省勤務)の関係で岡山に居住、養父の本籍地は高知市南新町(現・桜井町)。1931年(昭和6年)四月、福岡県小倉市篠崎へ移転。その後、城野(現・北九州市小倉南区城野四丁目)に養父が自宅を購入、長く住む。1963年(昭和38年)6月養母、1967年(昭和42年)12月養父と相次いで死去。養家に兄弟姉妹なく、岡山の縁戚関係も断ち、天涯孤独となる。2001年(平成13年)2月、認知症などで小倉北区内の病院に入院、2005年(平成17年)6月26日、同病院で老衰のため死去。
『山中富美子詩集抄』山中富美子(森開社/2009)
【園の中】
タイムよりも早く樹の彼方
緑の薔薇の茂みから生れて
その樹かげの狂乱、風のなげき、
盲目の石像の高い叢より冷たい肩の上
深い緑の裡にかくれて、白い月は
茂る枝々を上りながら出てゆく。
空しい接吻の如く。
強い叢は派手な腕をかくして光らせる。
樹かげから立ち出る幽霊ら、
夏の静かな叢に、彼らの首を切れ、
ダイヤモンドの如く、
風は茂みの裏から枝々に光りを噴上げた。
太陽の白鳥が蔭で光る、
そして叢に眠る。
茂る一世紀の叢林が低い日光の枝を
薮少なく、ひらかせている。
大理石の獅子像、夏の白痴が、
その恐しい眼を、枝の下に伏せているのだ。
樹上に身をかがめる雲は何も見ない。
茂みにそむいて。
曲つた楡の樹影で、それが彼等の人生だった。
おゝ運命の白い胸よ、
早い正午に、その腕をまはせ、軽く。
向ふで薔薇の茂みは暗い
木の間をすかして永遠をながめる如く。
水のそば、樹々の泪が深くわき出す、
新しい月はもう見えない。
影の白鳥らはすでに樹々を下りた、
風の上衣を裏返して。
【思出】
緑のニグロが石段を下りる時、オリーブは
空の色に茂つている、
そこに伊太利の日光がさす。
一片の明るい雲、時々、天使が浴みする
熱帯地の雨はこはれた石柱にかゝつた。
海で死んで砂をくゞつてきた天然樹の足、若い蛇よ、
月の海岸には泡が佇立している、
秀れた姿勢で、砂漠の空に。
そては匂った
眠る橄攬の呼吸のほとり、優しい遠方に、
新鮮な思出が、
それだけあつた。
海のバルコニーの外の樹をながめる時ーー。
【夜の花】
左右の端麗な決定と悲哀とにかかはらず、
かたはらまでおとづれた夜半は最早、予言を
生命としない おおこの室内、
すでに意味の無い輝き、沈んだガラスの神話、
或ひは冷酷な無言が、死の床に時計の夢を、
又はかたはな物語を伝へた。
深夜のすぐれた思想、まざまざしい姿態、
紫の大理石、無垢の告白、それらは妖気と神託を守つてつきることを知らない。
はなやかに重く、かちえた真実をひらめかす花達に永遠の潔白を名のらせよ。
蝋燭と両手で不思議な信仰をさぐりあてる魂も微笑と香気をともなつて洗礼の闇の寝床
にやはらかな黒眼をもつであらう。
だが怖るべき青銅の夢の眼に見えぬ仕業は、
昔の平和と不幸な天禀とを手にしたことであつた。
愛情を強ひられる花達の純白な気温と、荒々しい不滅のささやきに、おかしがたい希望、
絶えざる予感と太陽の冷艶さを夢みながら、
地上に又とない夜の、稀な神秘の枕元で。
【聖夜】
海のピアノ、冬の月光の曲、
透明なオーケストラ
東洋風な燭臺、
ペツトの月よ、弟よ、
おまへが黒い瞳を閉ぢる様子、
おまへは思出の椅子による、
黒衣の胸に手をおいて、はげしい情熱で。
壁の後におまへは立つている、
夜がそれをみせぬ、恐怖のマンドで。
冷たい焔はもえあがる、
舞防風なすがたで、おまへは翼をかくす。
死と呼ばれる魂の傍、そこによりそふ夜