村山槐多(むらやまかいた)1896〜1919
横浜の小学校教師であった父村山谷助と母たまの長男として生まれた。母たまは結婚前に森鴎外家で女中奉公をしており、その縁で鴎外が名付け親となった。10代からボードレールやランボーに読み耽り、詩作もよくした。その早熟さ、デカダン的な生活、貧しさや失恋による心の痛みなどにより、結核性肺炎を患っていた。また、22歳で夭折した点まで同時代の関根正二とよく比較されるが、2人の作風はまったく異なっている。画家自身のほとばしる情念や不安を反映した村山の人物像は、器用ではないが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものである。画家の山本鼎は従兄。
1919年2月、そのころ猛威を振るっていたスペイン風邪にかかり、寝込んだ。2月19日夜9時ごろ、みぞれまじりの嵐のなかを外に飛び出し、午前2時ごろ畑のなかに倒れているのを発見された。取り押さえられた彼は失恋した女性の名など、しきりにうわごとを言っていたが、2時30分息をひきとった。
『槐多の歌へる』村山槐多(アルス/1927) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911897
【薄明】
われに来てやまざる
燈火の如く美しき薄明あり
そは悪神の如く
「汝ただれよ」と心を襲撃す
「こは何ぞ」
われ驚愕の余り追憶に逃げ入れば
豪奢なる心の底に
いとかなしき答あり
「まことに汝見つめなば
美しきこの薄明は
時々に汝が会ひ汝が恋ひたる
君が眼の数多き凝視なりと知らん」
耐へがたし
またなつかしきこの後覚
わが眼は春の燈火の如き
薄明より免れ得ざるなり。
【君に】
げに君は夜とならざるたそがれの
美しきとどこほり
げに君は酒とならざる麦の穂の
青き豪奢
すべて末路をもたぬ
また全盛に会はぬ
涼しき微笑の時に君はあり
とこしなへに君はあり
されば美しき少年に永くとどまり
ひの品よきぱつちりとせし
眼を薄く宝玉にうつし給へり
いと永き薄ら明りにとどまる
われは君を離れてゆく
いかにこの別れの切なきものなるよ
されど我ははるかにのぞまん
あな薄明に微笑し給へる君よ。
【電車の中の軍人に】
俺の電車が走つて行く
外は五月のすばらしい町だ天だ
東京の郊外を走り飛ぶ
俺の好きなボギー車に俺は居る
恐ろしい醜悪の人々を満載したな
第一に泥でこね上げた田舎おやぢが五六人
臭い様なポーズをとつて居る
それから日本語をしやべる女異人
抱かれて泣きわめく白子の様な赤ん坊
一面の糞色、にきび、腐つた脂肪
臭い息、無智な大馬鹿共
それらがこの電車の中でうようよとして居る
それから過淫に疲れた女の皺だらけの顔
俺はふと躍り上つた
俺の横なる二人の士官の
健康の威嚇に
何と云ふ美しさだ
強い黄色人種我等の戦士
俺は君を賛美する
君のその隆々たる容貌と態度とが
俺の腐つた下落した心を高める
軍人よ軍人よ
俺は下らない絵を描いた覚えがある
その不満と悔とが俺を泣かせる
俺は苛立たしくもかく灰にまみれて居る
然るに君は何とした誇りに輝いて居る事よ
カーキー色の歩兵士官よ君には
画学は何でもなからう
君の一撃は俺の生命を立どころに奪ふことであらう
ああ俺は君をうらやむ、ねたむ
君には画の不満がない
然るに俺にはある、俺は神経衰弱だ白痴だ
君はすばらしい精気にダイヤモンドの如く輝く
俺はかなしくなつた
だが見ろ今に俺が君の如くに輝くぞ
君の剣が君の腰に光る如く
俺の誇りが必ず輝くのだ
ああ電車は走る走れ、速く走つてしまへ
俺も今に走るぞ
この光栄ある軍人に負けない光栄の天に
走り込んで見せるのだ
愚な馬鹿
剣を吊つた■有難い帝国の干城よ
貴様は何をさういばつて居るのか
新兵の■■どもよ。
【跳び上る犬】
犬が跳び上ります私を目がけて
ゼンマイか、まりの様に跳び上ります
綺麗な愛らしい犬だ
利巧で強いはしつこい犬だ
ぴよんぴよんぴよんぴよん跳び上ります
私をめがけて一心に、幾度も
犬が跳び上ります
私の眼を覗つて
私がお前をああ可愛いいと一寸思つた
その眼を犬が一寸見た
それから美しい銀のまりの様に
犬は絶えず跳び上ります
私の眼をねらつて
ぴよんぴよんぴよんと跳び上ります。
+
強い紫のにじんだ宝玉(たま)が
ころころころと光の中をころがりゆく
いくつもいくつも
さびしい響きがそれにともなひ
私の耳にふりこむ
あの宝玉は雨かしら
それとも私の心の散りゆくさまか
さびしい空しい
泣きたくなる
ころころころと走つてゆく紫の宝玉
とまれとまれ、とまれ光の中に
私の力を
私の情を
しだらなくどこかへはこび去る、にくいその宝玉。
+
ぬるき火の滝は金に緑に赤に
地をさして落ち
裸のわれは蛙の如くその下に
はねかへり泣き叫ぶ
われは滝を上らんとして
はね飛ぶ事千べんなり
いらだゝしきこの夢
さめし後われを戦慄せしめぬ
夢の中にてわが姿は
さながらにひしやげつぶれたる
蛙なりき。