松田利久(まつだとしひさ)1909〜1930
石川県生まれ。農業に従事しながら文学活動を行う。1927年の「北国新聞」にはかなりの詩作品が載っているのでこの頃にはその名が知れていたのであろう。1930年1~2月頃 北陸詩人連盟を結成。同じ年の1月に入隊するが3月19日に自殺した。
『松田利久遺稿集』松田利久(北陸詩人連盟/1931)
【職を失つた土工鮮人よ】
生きてゐることが
つらいと云つてゐたあのかよわな土工鮮人は
いまどうしてゐるのだらう。
仕事がだるいと云つて、スコッパで突かれた――、その夜
彼は明日の日からの不安も考へないで
心もうつとりと故郷の踊をおどつて見せた。
スツテキ デン・・・、スツテキ デン
友も泣いたし俺も泣けたよ
彼の眼には涙――涙。
また 或る日
一緒に仕事を終へてから
俺たちの血潮のやうな、真赤な太陽の沈むのを眺めながら
神通川畔のアカシヤの下で
一つのアイスモナカを分けあつて食べた時
彼は はらからのごとく
しみじみと故郷の話をしてくれた。
彼はいまどうしてゐるだらう
食ふや寝ずやの仕事がめつからない
あの年若な土工鮮人のことをおもふと
俺は彼のために涙が出る。
おん身よ、つらからう
空ツ風のちまたでふるへてゐるのか
街燈の影で泣いてゐるのか、
俺の室にこんな十燭はあまりに明るすぎる
別れてからびた銭一文も送らなかつた俺も苦しいのだ。
おん身よ
海岸線につゞいたあの古典的な町で
今日も船べりに立つて
おん身は故郷の雲を眺めてゐることなのか。
おたがひに不甲斐ない人生を味つて
ゐることがつらい。
おん身よ
いくらでもいゝ
泣いて暮らしたつて五十年だ。
失つたら めつけるんだ。
天と地のつゞくかぎり
俺達の命は伸びてゆくんだ。
さあ噛りついてゞも
命を めつけるんだ。
【鰯とる日】
――漁師の歌――
なんと晴れ渡つた十月の浜だらう。
高々と蒼い天空に
ゆるく雲が流れてゐる。
水平線に伸びてゆく、白帆や
ポンポン蒸気の音に僕の魂は、
もう、空高くとんでしまつた。
砂丘に風起れば
かるき貝がらのからからとなり
草の中で、白き貝だちは話かける――
船べりに、ひたひたとたはむれる波も
渚にはじく太陽も健康だつた。
沖合はるかにひつそりと浮びあがる白帆
――ひつそり消えさる白帆
真昼の燈台に反射する十月の陽よ。
ぼくはもう
なにとなく嬉しい、少年のやうな
心になつて船の中から、鰯のかごを差し上げて
こんぺきの大海に
お――いと
声をかけた。
【さらば故郷】
童心に帰れ、純情に生きよといふ。
いくとせわび住んだとまやに。
いくとせを遊びなれた砂山に。
めいらうな秋は季節の馬車に乗つて訪れて。
去りがてぬ、哀別の日と、
人生試練の第二歩の日が近づいた。
過去十有幾年
この砂丘は寂しい性の僕にとつて、なつかしい安息所であり
思索の揺らんの場所でもあつた。
輝しい陽の射す春の日、
慈しみの秋の陽
学校から帰へるとすぐ家を飛び出して砂丘へ行つた。
松はすくすくと伸び草は青々と生え海から来るやはらかい風に、
軽い貝殻が草の中でカラカラとなつてゐる日や、
沖遥に、ポンポン蒸気の光る日など
どんなに、よい喜びが僕の心に忍び込んで来たことだらう。
僕は陽の沈むまで――。
亡き母や、姉のことや、未来の空想等を描いて寂寥のはてに遊んだ。
漁からもどつて来ても
すぐ家へは帰らずに、心の合つた友達と
貧しい文芸の話や、とりとめのない相撲の話などして、
船小屋にしめつぽい夕もやがたちこめるまで、
波打際の砂に寝そべつた。
【きす釣り】
金石の無線電信のポールの突端に
雲のきれはしがひつかゝり
あをく澄んだ空に
空気の波紋の見える朝
船べりに腰をおろしてきす釣るは
俺と父。
はるか
水平線上はひつそり
消えさる白帆
水平線上にひつそり
浮び上る白帆。
空青く深く
深く青く。
沖に波立てば
小さき波どちは
ひたひたと
船べりに話かける
あをあをと澄んだ空に
空気の波紋の見える朝
俺の詩情も
わくわくと胸三寸に
もりあがり
なんといふ歌を
うたへばよいか
しばしためらつた。
【芋掘り】
一日芋掘りをした俺の手が
芋の乳で黒ずんだ、ふかふかと
芋の香りの
浸んでゐる俺の手は
今宵燈火のもとで、
ペンを握り
都の友にたよりを書かうとしてゐる
――さて二三日を経て、
さみしき寮舎の窓で
都の友がしなやかな手に俺の手紙の
封が切られる時、もしもほのぼのと
芋の香が、土が
たちのぼりはしやすまいか
――と思つて。
【童心】
なんと晴れ渡つた
十月の浜だ
高々と蒼い天空に
ゆるく雲が流れてゐる
砂丘に風起ると
かろき貝がらがからからとなり
草の中で白き貝だちは話かけてゐる。
僕は沖合はるかに
のびてゆく白帆の
夜寒きねむりを思ひ
ころころと砂山をころばり
高い砂山の
いただきに登りつめて
なにがなくうれしくなつたので
帽子をふりまはし
こんぺきはるけき大海に
お――いと
声をかけた。
【悲しめる夢】
――光をもとむ――
さうろうとすぎさる黒い影
俺の孤独は明日ののぞみに悩む
はてしない遊惰な夢遊の間を
空想にもえさかる香炉は
憂鬱のながれに落ちて光も消えゆく
【光をもとむ】
さうろうとすぎさる黒い影(シルエット)
俺の孤独は明日ののぞみに悩む
はてしない遊惰な夢寐の間を
空想にもえさかる香炉は
憂鬱のながれに落ちて光も消えた。
涙にぬれた経歴の白路をたづねよ
そこには俺のわびしい天性の受胎がひそむ。
春あけぼののまぼろしの故か
蒼天にうかぶ予言のちからを感じてか
情魔の、懊悩の、菩提の、さそひをのがれ
うれしくも天上しぜんの風にふかれて
閑雅な哀傷にまどろんでゐた。
あゝ未来の星運をあこがれもとめて
せんねんに情熱のしろがねの鈴をみがき
思念の雲をふくみ ふくんで
みよ、孤独におびえる人生の厨房に
情愛と幼な児の魂を幸福の枝に咲かせるのだ。
げに青い蒼い思想の橋のうへに
俺の孤独は唄つてゐた。
いまこし方の墓場では運命のわかれ時。
孤独よ、想い出の帆を上げよ。
いぢらしい男の幻想を嵐にして
のろはしい厭世の落莫に疾走せよ。