蛭田昭(ひるたあきら)1933〜1951
東京生まれ。1944年に福島県石城郡(現、いわき市)へ疎開した。1946年春に都立第一中学へ入学。中野のアパートで父と共に自炊生活を送る。やがて母と弟妹四人も上京。1949年4月、都立日比谷高校へ入学。3年進級を待たず1951年1月29日夜、国電高田馬場駅ホームより飛び込み自殺を遂げた。時に17歳と7ヶ月。死後、母の手で遺稿集が編まれ、改めて、1968年に南北社から『青春が滅びてゆく―自殺との対話―』が発行された。
『青春が滅びてゆく 自殺との対話』蛭田昭(南北社/1968)
【少年の日の感傷(Ⅰ)】
やわらかい秋の陽ざしの下で
無心に絵をかく二人の少年――
まるでおおらかでのびのびとした
それでいて何か淋しい。
美しい友の横顔にみとれる、一人の少年
二人の絵は
しっとりとぬれ美しいイメージがおりこまれる。
不確かな運命が二人の少年を
こんなに変えてしまった。
今三年前を思い出して
一人涙ぐむ少年がいる。
甘い記憶が胸にしまいこまれる。
そしていつかはほろびて行く。
人間の自然のために。
【少年の日の感傷(Ⅱ)】
私は死を怖れる。
何物とも知れない
黒い杜のかげにうずくまる死を。
すべて虚無か
はげしいインフェルノの苦しみか。
そのどっちともつかない故に
私は死を怖れる。
やがて時がたって少年が老いゆき
無感覚となってしまう。
私はもう死を怖れないだろう。
ただ若さのさせる幻影にすぎないのだろうか。
【予感もて細く鋭く】
空虚なる心を持ちて
沈み行く光の下に
我はたたずむ
茜さす高き山々
夕日(いりひ)に映えて
眼前に拡がる
平野には静まる
大気みちわたれど
漸く襲わむ
絶望の嵐は冷たき
予感もて細く鋭く――
【我が神経に触るる】
我が友は彼方に泛べる
雲居にて永遠の
なげきを秘めたれど
悲しき思いは
身を刺して
一人恐ろしきものに
うち慄う
風なき日なれど
何故に我が魂は
怖るるや
虚無の深淵に向かいて
我はかすかに息を吐く
【夜のなげき】
たえがたい苦痛のように
月の色は悲しみの色にうちふるえ
暗い空間を通してすべての怖れと
なげきをその中に秘める。
しずかに地球はゆれる……
蒼白い草の陰にかくれし
悲哀も……幻滅の悲しさとともに
低く 低く なげく
ああ私の悲しみはどこにあるのだ
私の愛を奪って行った幻よ――
私の青春をかえしてくれ
お前はただ私を慰めれば良いのだ。
私はお前の哀れさを愛する。
暗いかげに何故かくれるのだ……
月の光はたえがたいかなしみを泛べ
しずかに地球はゆれる……
【蒼白い月の光に】
蒼白い月の下に
潭(みずうみ)の水は妖しい
光を放ち
黒い杜の影は
しずかにゆれる。
この夜は魂の
燃える閃きにも
感応し
細い銀色の手は
月光を浴びている
くさむらの中から
にょきにょきとのび
ふるえながら
いたましい叫びをあげる
人間の■をかくし
いよいよ 光る
潭の水は
何かの瞳のような
沈んだくらさを持ち
淋しさがある。
不安に戦のく
蒼白い月の光に
潭は妖しい
燐光を発する。
【晩秋のある聖日の朝】
ほこりっぽい部屋の中で
私は黙って机の前に坐っている。
晩秋のあの聖日の朝
空はつめたくすみ渡り
黒い煙突の向うを
すずめがはねてとんでいる。
すべてかたい一枚のガラスを通して
私の目にうつされる。
なんとはなしに一年前のことを考える。
あんなに真剣になって、
友情を考えたときのことを
今私はつかれはてて
人を信ずる元気もなく
ただ古い友情の残がいに
いつまでも首をつっこんでいる
哀れな虫だ。
哲学者は淋しい甲虫であると
誰かが云った。
【不思議な心】
はやりたつ心をおさえて
そっとビールのジョッキに口をつけた
黄金色の液体が天井の電灯に
鈍く輝き僕の気持をいやが上にもあおる
僕のとなりに坐った女学生のシャツの間から体が見える
白い皮膚の色としなやかな曲線と
美しい乳房を予想したのに
見えるものは黄色くちぢれた
汚れた汗くさい皮膚としぼんだ乳房だ
髪の色は茶色くほこりにぬれて
ああ首筋はまっ黒だ
これがおませな女学生の正体
僕は目を閉じてグッとジョッキをのみほした
とたんに変る僕のまぶたには
赤く唇をぬりたくった
ウェイトレスだ。ああちょっと来給え。
君の体はまるで男の情慾をそそる
それなのに何処にも僕の探している
女なんていやしない
豚の子のように血に汚れ不潔で
いやらしい淫部とああそれだけだ
熱い息を吐いて僕はとび出した
七月の空はまだ明るい
トワイライトの中に……理想が溶けこんで
ただあとには冷たい灰色のかべばかりだ
【やまい】
くろずんだ杜のかげから
しわがれた声が聞えて来る
老いゆきてすでに枯れし
ひのきの梢にものうげにかかる
あめ色の空は私の心を
いためつける
目にみえない原子の放射能が
生物体をつらぬき
私の体をむしばんで
黄色いむくろに変えて行く
その途中に
ああ私の心はあまりにも
空虚だ
ずきずきといたむ
頭を押えて苦しさに
ふとかがめば
しめった樹のみきより
ぽろぽろと落ちる青い苔
しるべもなく
悲しみに野山をさまよい歩く
私の眼に
人知れずうもれてゆく
自然の断面が
やまいにいたむ私を
なぐさめたのかも知れない
【行く春】
降りしきる雨の中にくもった灰色の空から
訪れた春は、晩春の此の日、静かに去らんとしている。
軽快なそのよそおいのうちに地上すべて
生れ来るものを祝し、枯れゆくものを悲しみ、
かえることはない深い想出の日々をやどし
やがて来らんとする時の前に空しい抵抗を残して
すべてのものに、それぞれ望んだ春は今去りゆかんとしている
はるかにつづく白い舗道の上はしぶく春雨にぬれ
両側の樹木のみどりは此の日の午後に行く人の
沈んだ心の眼を映じている。
たえがたい焦燥を感じ無為にすぎゆく時の前に
人の心は重く悲しみ、去りゆくものへの
愛着の念は、うつろなこだまとなって
流れてゆく水にすがる
きょうもまたこの日を祝する人の為に春は
その最後の姿をのぞみ別れをつげている。
【私が死んだら友よ】
私が死んだら友よ
私のなきがらを四つに分けて欲しい。
頭と上半身と両腕と下半身に。
頭は虎の門琴平町の近くに。
上半身は田園調布の街のあたりに。
両腕は鎌倉の海のみえる丘のあたりに。
下半身は茅ケ崎の海岸にうめてほしい。
頭は頭もて愛した人の近くに
都の息吹を感じるあたり
秀でし人の面影をしたいて
私はねむる。
田園調布の街のあたり
はかない希望をのせた
ただ一人の美しい少女の在ましし地に。
私はなだらかな胸を感じ
甘い息吹をしたいつつ
さめることのない眠りにおちいってゆく。
両腕をもて愛した人は
可愛い少年 港の見える丘のあたり
口笛の音をたのしみつつ
流れる白い雲に想いをたくし
私はたのしい夢をみつづける。
人の姿のない茅ケ崎の海岸は
低く悲しみがただよい
在りしあたり
ほのかな郷愁を感じ
私は埋れ、しぶきをあびても
永い美しい夢をみつづけ
私はねむる。
私が死んだら友よ
このささやかなねがいをかなえて欲しい。
地上では愛されることなしに逝った
一人の人間のねがいを是非きいてほしい。
そしてそれがせめてものよろこびなのだ。
【消えゆくもの】
消えゆくもの
それは知らずうもれてゆくもの
目にみえないもの
淡い月の光は
暗い秋の夜は
日に光る野原は
冷たい水の流れは
消えゆくもの
知らずうもれゆくもの
目にみえないものに
みちみち
刻々に円を描く。
細い光の集団に沿って
それは更けゆき
またはかない声は
それは過ぎゆき。
消えゆくものは
それを知らず、埋れゆくものは
目にみえないものは。
【弦月が顔を出した】
八月の声をきいたのも
夢の如くに過ぎ
やがて九月が訪れようとしている
雨もよいの夜空は低く、虫の声のみが哀れだ
すいっちょんやこおろぎ
行水を使っている側で鳴いていた
さといものくきは高くのびている
何とはなしに過去を考える時
それが秋の自然だ
単なる感傷以上に、僕は夜を怖れる
一年の推移が目の前にうつり
時代の前に無力にとける人間と
残りゆく生命とのあらそいがある
しかし淋しい
自分は永遠に孤独で
また暗い空間に帰ってゆくのだ
机の前にぼんやり坐っても
若い僕の憂鬱が
秋の夜をたえがたいまでにする
窓を少しあければ
雲のちょっとした切目から弦月が顔を出した
雨は又本降りになる
月もかくれ不思議な空気が
僕をとりまいている
美しい友の面影が
幾重にも胸底深く
しまわれてゆく
これが秋で、秋の自然なのだ
【友の死を悼む】
水鳥が飛び立ったあとの水面は
たださえ悲しいのに
妙にそぐわない哀愁が拡がる
君と共に歩いたお濠端の路は
しっとりと冷たくぬれていた
あのとき蒼い空にかすかに白い雲片がみえた
二人で何か果敢ないものを感じたのだったね
君の瞳はいつも底知れぬ
深いものをたたえていた
私は君の澄んだ瞳の色を何度
うっとりと眺めたか知れない
私は君と一緒に歩くのが好きだった
君は私の最も良い友だった
君は笑うかも知れない
しかし君の微笑は永久にこの世から
消えてしまった
風が吹けば水面にあしの影がゆれる
夕暮近い時だったね
私と君が生涯をかけた
何物かに進まんとした時……
君はその瞳を永久に閉じてしまった
私はきょうやるせない孤独を味わいつつ
一人であのお濠端を歩いた
水はやっぱり空をうつしている
風の戦(そよ)ぎも変らず
白い雲も平安に見える
しかし時という形に見えないものが
静かに流れ
そこに永久の離別を与えている……
そして私は死という意味のあまりにも
厳しゅくなのを知ったのだった。
【十字架】
鈍く光る十字架の先から
すき通るように冷たい人の心が
この初雪にけぶる灰色の空に
ぬけ出し、云いがたきかなしみもて
人の瞳をみている。
蒼白い光芒はどこにもみち
怖ろしい夕暮は人知れぬ
果からどこまでとも知れない。
なげきの流れに沿って低くうなり
この心の哀愁に喰いいる。
ああ見渡す限り
何一つないあれ野は純白の
悲しみにおおわれ淋しく立っている
純白の十字架は
鈍くその無気味な面を光らせている
【聖像と肉体】
ゆるやかに紫煙をくゆらせつつ
冴えた頭には冷たい理性が残る。
やるせない感情をおさえつけ
ミロのヴィナスのような調和された美を
うつろな気持でみ上げている。
琥珀色をした液体は銀色の香気を発散し
あたりを夢幻の状態に誘い
聖像の輝きを増し
肉体の蔭影は強く弧をひいて
月光のかおる星の光のしぶく
しゅろの葉の影は
今深みをおびている
つきいる冷たさは人間の心を凍らせる。
紅のマルサユは妖しい幻想をもいだかせ
終(つい)のロオランは白い肉体の快楽をしのばす。
天狼の輝くあたり
すべては虚無に還元し
ああ金剛石も光らない。
【静かな悲しみの午後】
細い繊細なひびきを残して
風は過ぎてゆく。
くもった活気のない空は
悲しみに満ち
低くたれたなげきのなかに――
自己を知らない人間の群が
あてもなくさまよい
傷つきいたみいる。
その顔はいうに言われない悲痛に満ち
自然から自然へ――
また来て帰ってゆく
大きな時の部分を構成し
静けさの中に黒い杜は
ある午後のひとときに
すべてをのみつくし
何事もなかったように……
水の流れはひびきをのこし
冷たい息吹きとはるか彼方まで……
静寂は傷ついた心をかこみ
孤独にのがれてゆくものは
人間……人間として
低いかなしみの午後は
死の色をうかべ
自然と人間とをその巨大な
時の中に含合し……
偉大なものはもっとも平凡に
恐ろしいものは預言者のこえに
それぞれが何等かの形で
地面を形象し……
はかり知れない虚無の深淵は
あわれな巡礼者の声を呑み
黒い淵ははるかにふるえ
眼の下に横たわる。
絶望の風は吹きつのり
耐えがたい焦燥に
自己を忘れせしめて……
静かな悲しみの午後
【日照りの河原】
日照りつづきの利根河原は
黄色いむくんだ色の砂浜が
ぴちゃぴちゃと寄せるなみに続き
白茶けた草がおし倒され
子供は太陽の光を反射して水に入り
子供達の全裸の姿も赤褐色に
いろどられ しゅうちを知らない
女の子が ゆがんだふとももを
まるだしにして
空を眺めている。
【炎】
ほのほのごとくみゆるとき
人の目はそのいろがかなしい
心に怖ろしい情慾がもえるとき
そのいろは炎のごとくみゆる
現実は冷たくかなしい
しらずしらずの内にこの世的になった
自分を自己嫌悪の目で眺めた
心を開こうとせずいたずらに
過ぎ去った年月をなげくのみである
少年に恋した私の初恋は
すでにそれは幻影である
しかし夜私はふとんにもぐってから
いつまでも楽しい生活を描かんとする
失われた心像(イメージ)がせめて
きよくあるまでと私は希う
【ひまわり】
子供のころ私はお前が反抗する花であるときいた
実際お前は美しく大いなる花は太陽の如く燃えて
地上の花の王者たるを失わなかった
それなのにああどうしたことかこの午後列日を受けて
お前はだらしなく下を向き、なんと臆病そうにふるえている
かつてお前はその大輪の花を火の如く燃ゆるものに向け
終日彼をみつめてひるまなかった
私は今お前の哀しい姿を見てそぞろ哀れを催した
ひまわりよ、お前は気高くあれ
かわき切ったばさばさの土ほこりたつ地面は
お前の輝くひとみを受けるには向かぬものである
青い草の葉にお前の涙は光った
そうだひまわりよ
私がかつてお前に抱いたあこがれを消さないでおくれ
国は破れて人の心はすさんだ
しかし多くの人がうたった如く
自然は初めて哀調をおびてくる
烈日のほとりに
青い空に向かって雄々しく立ち上がる
ひまわりよ
【廃墟】
青い空にぽっかりと白雲が浮んでいる。
夜来の雨は止ってそこここの水たまりはぬくみ、
小さな萌菜が泥をかぶってかたまっている。
崩れたコンクリートの建物のさけめからも若草がのぞき、
水筒からは
水蒸気が立ちのぼり
ぬれた石の大きなかたまり、鉄筋が黒い。
細い手がもえ出た棒にくずれた所からのび……。