浜口長生

浜口長生(はまぐちちょうせい)1927〜1957
1927年、三重県志摩郡甲賀村(現・阿児町)生まれ。病弱のため進学を断念、家業の雑貨商(酒類、食料品、文具、建築材料などあらゆるものを商う)に従事。眼球振動症。戦後、村の回覧誌に詩、短歌、エッセイを発表。1949年結婚。1950年、「三重詩人」創刊と共に同人。1952年、「詩学」三重支部結成会を甲賀で催す。この年、私家版詩集『漁民悲歌』を上梓し、雑誌『砂』を主宰。1953年、甲賀公民館青年部長となり、共産党に入党。暮れに友人と、村に映画館を共同経営するが、不振のあと20万円支払って事業から手をひく。多額の負債のため財産の処分をはかる。発病、喀血していた胸部疾患悪化す。1954年印刷業および運送業の整理と返戻に追われる。1956年県立医大病院高茶屋分院に入院。体重35キロ。1957年2月15日肺炎及び肺水腫を併発し心臓衰弱のため死亡。享年28歳。

『漁民悲歌』浜口長生(私家版/1952)
『浜口長生詩集』(三重詩話会)

【海女(その1)】
堕胎してから僅か2時間だというのに、海女は海底に若布の林の小径を急いでいた。
「今年は若布が全国的に不漁で、どえらい値段で買付の商人が、組合に顔並べてるだア」という姑のその声に圧され、貧血した肉体にインチキ売薬頬張って、肌寒い陰暦2月の海へでかけていった。
きょうはバカに潮が身に痛い。
磯着が重い。
底が遠い。
岩に脚が辷る。
若布が強く揺れる。
身体も揺れる。
鎌の穂先も定まらぬ。

尚も若布の林を分けてゆくと、オヤ?、変な格好のものが、こちらえ歩いてくるではないか。若布の林の樹洩れ陽でみつめていると、アッそれはたしかさつき方、堕胎した自分の児のようではないか、あゝその児は全身血まみれで歩いてくる、歩いてくると、その児はブヨブヨの顔でニンマリと笑い、そして楕円の眼鏡にへばりつき、眼鏡の内側の母の青ざめた顔をしげしげと眺め、何も云わず、またニンマリと笑ってみせた。

若布の1本1本が鎌の穂先をすり抜けて、その堕胎児の黒い腕のように母の乳房にまつわりついてくる。
白い磯着が脱げてゆくように思うと、海女はその児の顔も若布も、もう何もかも見えなくなってしまった。
やがて、海女の死体がぽっかり水上に浮いた。それはたつたいましがた煙管を海に辷らしてその沈みゆくのを惜しそうにみつめている亭主の舟の舷の真下に、妻は命綱をゆるく握ったまゝ浮いてきたのだ。

【海女(その2)】
海女は疲れて睡っているのだが、磯えゆく時刻を違えてはという意識が、絶えず、彼女の唇元に寝息を歪めている。
横になっても、それは乳房のあたりまで漂よっているのか、ひくひく動いてみえる。そのまた動きというやつが、彼女等が一刺しにする鱆(エイ)や鰈(カレイ)のあの最後のあがきにそっくりではなかったか。

【海女(その3)】
夏になると、都会から海水浴客が、どっと来た。
彼等は濱で、物珍しそうに、海女のハサを覗いた。(それはまるで少年が始めて春画を覗きこむ姿勢に似ていた) すると、彼女等は輪になっていて、立膝で身体を温めながら、芋を焼いていた。
「砂、おっかぶせて焼いた芋、うめえから喰いなや」と彼女等は焼芋を彼等に握らせた、事実、砂地で焼いた芋はおいしい、それは澱粉質に砂の含む鉄分や塩分が作用するとか何とかいうらしいが、とにかく、おいしいものだ。
彼等が口を小さく開けて焼芋を喰うと、口のフチ中、まつくろけになつた「おいしいですなア」と彼等が感嘆すると、海女たちは焼芋より黒い顔でどっと笑った。そのどっと笑った口の上下に、真珠のネックレスのように歯が連なっていた。

【漁師夫婦】
冬になると、漁師夫婦は海老網にでかけた。夕方、網を掛けてくると夫婦(ふたり)はきまって居酒屋ののれんをくぐった。
亭主(とと)は立キューで女房(やあ)はその脚許にかがんだ。居酒屋の老爺がフチの欠けた薄汚い茶碗に焼酎を酌いでやると亭主の方は息もつかずにキューと飲み干しこぶしで口をごいと拭った。女房はとみると、砂糖をすこしもらって焼酎に混ぜ、ちびりちびりと飲みはじめ、しまいには茶碗の底に沈澱(とご)った砂糖を人差し指で掻き寄せて舐め、更に唇中舌で舐め廻して立上がった。
夫婦は老爺に「か」といっていきおいよく居酒屋を出た。

冬の落陽が、いせえびの甲羅の様に赤い夫婦の顔を帰路に浮び上らせた。

【ふるさと】
ふるさとは 貧しきところ

きょうも ひねもす
沖には 海女たちの磯笛が泡だち

野良には子供たちの草笛流れ

かやぶきの家々は折重なり
くろくやせた人びと
血色の悪い子供たち

ワカメと麦の村 ふるさと
貧乏が唯一の財産のような村
吾市よ 新吉よ
そして松公よ
ふるさとを すてていった友よ
君等の異郷の夢に
しつこい眼ヤニのように
まぶたをはなれぬふるさと はなきか
なつかしの森や川……

おれは はなれない
ふるさとを
おれの恋人 ふるさとを

きょうも ひねもす
磯笛 草笛
貧しい村を
わびしい風のようにただよっている

ふるさとよ
ふるさとよ 抱きあおう
お互の愛情の重さを確め あうために
ひしいと——

【男蜑(あま)】
こう若布が値がよくては
早期濫穫も免がれぬ

年寄り
病人
鼻つ垂れ
妊婦(はらみと)以外みんな荒磯の精なんだから。

稼ぎ手の嬶の身重をなげく慾の皮突つ張りの亭主(とと)
嬶を孕ましたのはヨ誰なんだ

女に伍して男蜑
源公は駈出しの男蜑だ。

陰暦二月の海
海の威圧
更に生活の威圧
彼には櫓を漕ぐ手に思わず力をいれる。

潮の流れは速いが案外澄んでいる
楕円の磯眼鏡の内側で彼の眼は水上の眩しさに細められ
手にした若布の尠ないのにしばし気づかない。

源公の頭の上遥か白い雲が流れ
海の碧さに濡れた舟(ちよろ)の舷に陽が軽く反射して
彼は自分の吐息まで青く染まったように瞬いた

再び無気味な海の深みえ躍りこむ源公等の飛沫がそこここにみられた。

【いええび】
漁夫の知らないことが、たった一つだけあった。
それは、いせえびの味だそうである。

いせえびの肉(み)はしろい、だから、いせえびは、
いろのしろい都会の人でなくちゃァ喰えねえんだと、漁夫は、その子供たちに語ってきかせた。

いせえびのように、腰が曲らなくては、いせえびが食わしてもらえなかった。

【たこ】
たこをとってくると
きまって脚が二、三本足りなかった
海のそこは いま
死滅の まっさいちゅうである