日塔貞子(にっとうさだこ)1920〜1949
日塔貞子は1920年山形県河北町の名家・逸見家に生まれ、生後十ヶ月で生母と別れ、間もなくして名門を誇る生家(通称カモン様)は没落し、祖母をカアチャンと呼んで二人暮らしとなった。高等女学校(旧制)卒業の翌年頃から結核性関節炎を発病し、左膝が痛みだして歩行困難となり、次に右手が冒され文字も書けなくなった。戦争が熾烈化する頃から敗戦後の混乱期までの闘病生活は、弱者が生きてゆくには最も困難な時代であった。しかし、貞子は悲鳴をあげながらも、精神的に屈折したり屈服する様子は露ほども感じられない。四季派の詩人・日塔聰と1947年に結婚するが2年後に腸管閉塞のため28歳の若さで死去。
詩人・丸山薫は貞子の印象を次のように記している。「冷たい珠のような容姿。その内部に犯しがたい気品と、はげしい気魄が燃えていた」。右手で文字が書けなくなれば、左手を鍛錬する。字体が整うと日記や手紙を猛烈に書き出した。特に細字でびっしり埋めつくされた日記二十一冊にこもる気迫は、読み人の背筋に戦慄を走らせるだろう。貞子の文学は、この膨大な文字群に揉まれて輝いたのだと納得せざるをえない。
『私の墓は』日塔貞子(薔薇科社刊行/1957)
『私の墓は』日塔貞子(桜桃花会刊行/2006)
【私の墓は】
私の墓は
なに気ない一つの石であるように
昼の陽ざしのぬくもりが
夕べもほのかに残っているような
なつかしい小さな石くれであるように
私の墓は
うつくしい四季にめぐまれるように
どこよりも先に雪の消える山のなぞえの
多感な雑木林のほとりにあって
あけくれを雲のながれに耳かたむけているように
私の墓は
つつましい野生の花に色彩られるように
そして夏もすぎ秋もすぎ
小さな墓には訪う人もたえ
やがてきびしい風化もはじまるように
私の墓は
なに気ない一つの思出であるように
恋人の記憶に愛の証しをするだけの
ささやかな場所をあたえられたなら
しずかな悲哀のなかに古びてゆくように
私の墓は
雪さえやわらかく積るように
うすら明るい冬の光に照らされて
眠りもつめたくひっそりと雪に埋れて
しずかな忘却のなかに古びてゆくように…
【春が来たなら】
春が来たなら 野の花を
花を採ってきてください と
病気のなかで願っていたが
春はまだいつとも知れぬに 病気は重り
約束は果たされるときもなく
はかなくなるのではないかしら?
北国の春はおそく
遠い山ふところの村に春はおそく
生のよわさに耐えていると
うつくしい花の明りに粧う野山の春は
いつになったら来るのだろうか?
やがて私は 小さな冷たい一固まりになって
消えとけてゆく雪といっしょに
み空のはての淡い光になってしまい
永い年月を憧憬(あこが)れくらした花を摘みに
ほのぼのと
雲に吹かれて
漂ってゆけるのではないかしら?
【初冬】
ある夜
落葉の風が吹いていた
渡鳥の忘れていった真青な卵の話をきいた
神秘さにうたれて幾夜も幾夜も眠れなかった
遠い北地の灌木原をさまよったなら
冬に脅えてあわてて去った鳥の巣のどれかに
華奢(きゃしゃ)な体温をかすかに残し
うすい殻のなかで
混沌(こんとん)とした夢がはてしない眠りに安らぐような
孵(かえ)る日のない宿命を宿した青い卵が
たった一粒ー置いてあるかも知れないと思った
もう山々に雪が来ている
絶えまなくさらさらと落葉しつづける灌木原のむこうに
小さな村の灯はメルヘンめいた眼ばたきをして
旅人には孤愁と夕ぐれが来るだろう
ああ 旅がしたい
真青な卵よ
寂(しず)かな風景に早い冬のめぐりが又還ってきた
冷たい霧に吹かれた真青な卵は
ほのかな温みをたちまちに失ってしまうだろう
私のあこがれも
重たく霧にぬれたまま
ついにはある夜
凍る星々のあいだに紛れ去るだろう……
【もうじき春だ】
もうじき春だ
水を汲みに行った清水に けさは
岸の雪がくずれおちていた
そのあとに 真青な芹(せり)がゆれていた
家にもどると
雪沓(ぐつ)がぬれとおっていた
水もこぼさないのに 乾いていた藁が
こんなに重たくしとってしまう
ああ ほんとうに もうじき春だ
朝々 堅雪の上を子供たちが
小鳥と一しょに歌ってくる
紅い木の枝をくぐってくる
厨(くりや)にいると
水甕(かめ)のあつい氷も
うっすらと融けてただよう
どんな小さな隙間からも明るい光線がさしこんでくる
【美しい春の来る村】
明るく谷間をうずめて 光のそよぐように
雨ふり花や堅香子の花の咲く
静かな山の村があるのだという
美しい春の来る村があるのだという
そういう谷間に窓を展いて
私たちの暮す小さな家を建てよう
林のなかではいつも小禽がないていて
そよ風と幸福の入ってくる家を建てよう!
日ごと平和な勤労に汗する村の
愼ましい生活のよろこびに浸っていよう
可愛らしい花をたずね摘みながら
いそいそと散歩から帰ってこよう!
もうじきに 雨ふり花や堅香子の花は
あるがままに谷間をうずめて咲くだろう
美しい春の来る村に咲きあふれるだろう
私たちの希いにも明るい光を放って咲くだろう
【日暮れのよしきり】
夕やみのなかでよしきりが鳴いている
あわただしく渚をとびうつりながら
萍(うきぐさ)の片よった水の面をさしのぞき
ばら色の最後の雲の一ひらを遠くのぞみ…
嫩(わか)葉のほぐれも冴え冴えと明るく暮れ
たかい雲が東へ東へと疾駆すると
潅木のなかから夕風が立って行った
ひと時 よしきりは風の行衛に空(ほほ)けた眼をした
追いかけるように野づらをよしきりの声がわたった
うすら寒い曇った感情に浸されながら
失われた今日のすべてを悔いるように
かえらぬものを再び戻そうとするように
なに故に 生の傷みはつきないのだろう
慌しい生涯にあやまちばかりを犯すためか?
ああ 私もよしきりになって鳴き暮したい
胸いっぱいな切なさと悔恨を裂き捨てられたなら…
【夢】
夢にはひろやかな翼があって
子供たちはよくそれに乗せられる
何かを真剣に考えつめているときや
蝸牛や蝶や小犬などと遊びほうけているときに
夢には甘美な歌があって
子供たちはよくそれをききとめる
夜更け ぐっすりと眠っているあいだにも また
うっとりと花や玩具に眺め入っているときにも
その上 夢は芳しい光を放ち
おとな達は偽りにもその輝きに照らされたいと希っている
けれども夢は 曇りない子供の瞳を通って
嘘いうことを知らない魂に訪ねてくるばかり
悲哀多いおとなの胸に巣喰う夢ならぬ夢よ
ひろやかな翼はたたまれ 歌は渇れ
消えていった光を慕いながら
盲いた小鳥のように再びは空翔けることもなく
【夏逝く日】
蒼芒のなかに風は隠れた
河原蓬(よもぎ)はうす黄に咲いて
やさしく泡立つようにゆれている
私は大きな安堵に思慕を委ねて悔いないが
いまでは語りあう人もない
耀きにみちていた日のなお美しく
かたばみを噛むような夏のみじかい友情の
淡い残映をしめやかに展げている
風はしのび笑いを漏らしながら
あちらの叢へ居場所をかえた
そのまも夏草は静謐に
何事にもかかわりなく思念を実らせている
けれど 麻の上衣がつめたくなる
霧に吹かれた髪の黒さがつめたくなる
そして そんな日のあと 不意に蜩が
こらえきれない嘆きを告げた!
【小さな冒険】
なにか眼くるめくような歓喜が
草木の凋落にさえ花やぐものが
金線のような秋の陽の乱反射のなかで
蝗のからだにも充満しきったのだろう
跳びすぎたのも罪であるにちがいない
蝗は小川の中で懸命にあがいていた
その努力に償われて天に上げられたように
美しく澄んだ雲のながれを
けれど野に生きる小さなものが
どうして悔ある程の罪を犯していよう
ひたむきな一日(ひとひ)一日の純粋な生気に養われて
そのような暇(いとま)はなかったものを
それは只ほんの一寸した冒険だったのだ
水に垂れた溝蕎麦の花に縋って這い上ると
ああ彼は 明るい陽にうっとりとしたように
しばらくは瞳輝かせて身じろぎもしなかった
【靑い木の実】
悔いているのだと識ってから
あたらしい罪の重さが加わった
葡萄の房の靑い実が
かぼそい枝をたわめるように…
私のなかに堅い果実が
一つぶ一つぶふえてゆく
とおい希いに傷み
靑い重さに魂をたわめながら
酸っぱい未熟な純潔の
悔の痛みに耐えて生き
小さな励みを
いたわりすごしたのは空しかったか?
ああ しかし それらの木の実に
甘やかな悲哀を滴らせ
愛のゆるしのめぐる日を信じよう
美しく熟れる季節を信じよう!
【靑い木の実】
怠惰な運命の星から
ようやく与えられためぐり逢い
夜露に傷む孤独な夢を
心なく見過した償いをこめたように
そのあと忽ち朝がきて 昼がきて
自分のしらぬまに花が咲き
しずかな莟(つぼみ)と信じていた日に
不安な青い実ばかりが残された
たしかな回帰を知らないので
季節とともに悩む心は
あおい霧のなかの梢のように揺れている…
暑い昼は渇きながら
冷い夜はふるえながら
―やがて時経て与えられた意味に熟れよう
【山のサナトリウム】
花ざかりの蕎麦の畑にとりまかれて
山のサナトリウムが立っている
玩具のような小さいドアを排して
のどかな秋が人ってゆくと…
一つれの、干柿を下げた窓に
ふとった蜂がふり返る
幼顔のきえない看護婦が
多忙な調薬の手も休めてしまう
カルテには余白がなくなった
めくられた生の余白もつきている
長い病気の浸蝕をうけて
夢はうつろになってしまった―
間もなく冬が来るだろう
気象は日ましに冷たくなり
蕎麦は素朴に実ってゆく
生と死の小さな対話が聴えてくる
山のサナトリウムはひっそりかん
柱時計もゆったりと安静時刻を指していて
もみじした林の道を
まぶしい狐雨がとおるばかり