長澤延子

長澤延子(ながさわのぶこ)1932〜1949
群馬県桐生市の織物業の家に生まれる。4歳の時に母を失い、12歳の時に伯父の家に養子となり、桐生での一流のお召織屋だった裕福な養家で何一つ不自由なく育った。この頃から詩を書き始める。1944年、桐生高等女学校(現・群馬県立桐生女子高校)に入学。文学や哲学に惹かれ、島崎藤村、ヘッセ、ボードレール、ニーチェ、ランボー、原口統三等の作品に強い関心をもつ。1948年、原口統三の『二十歳のエチュード』に強く影響され「原口病」に罹る。同年12月、青年共産同盟に加入。翌年に高校を卒業して6月1日、服毒自殺した。 17歳3ヵ月の短い人生だった。

『海』長沢延子(私家版/1965)
『友よ私が死んだからとて』長沢延子(天声出版/2068)
『海―友よ私が死んだからとて 長沢延子遺稿集』長沢延子(都市出版社/1970)
『友よ私が死んだからとて』長沢延子(出帆新社/2083)

〈14歳の詩集より〉
【折鶴】
紫の折鶴は
私の指の間から生れた
ボンヤリと雲った秋を背中にうけて
暗い淋しい心が折鶴をつくる

ああ秋は深く冬は近い
机の上にひろげられた真白なページに
今日もインクの青さがめぐっている

友よ何故死んだのだ
紫の折鶴は私の間から生まれた
落葉に埋れたあなたの墓に
私は二つの折鶴を捧げよう

私とあなたは折鶴など縁遠い存在だったけれど
あなたが私のもとを去った日から
何故か折鶴があなたの姿のように見えるのだ

もの言わぬあなたの墓に
私は二つの折鶴を捧げよう——紫の折鶴を
あなたと私とのはかない友情を表した
あの淋しい折鶴を

〈15歳の詩集より〉
【うき雲】
過去を捨てゝしまった
現在をも捨てゝしまった
私を どうしたらいゝ
真昼の草原は冬

未来へとつながれた糸は
みな断ち切られて
私ののぞみが
空に浮いているのが見える

ポカリポカリと
どこへ行くんだ
私は眠い
あっちに墓が見える

あゝ 私はまだ
こんなに若いのになあ
ポカリポカリと何処へ行く 雲よ——
まわりの空気が冷たくて
私は眠られぬ

〈16歳の詩集より〉
【別離】
別離の時とはまことにある・・・・・・朝がきたら
友よ 君らは僕の名を忘れて立ち去るだろう
                      原口統三
友よ
私が死んだからとて墓参りなんかに来ないでくれ
花を供えたり涙を流したりして
私の深い眠りを動揺させないでくれ

私の墓は何の係累も無い丘の上にたてて
せめて空気だけは清浄にしておいてもらいたいのだ
旅人の訪れもまばらな
高い山の上に--

私の墓はひとつ立ち
名も知らない高山花に包まれ
触れることもない深雪におおわれる
ただ冬になったときだけ眼をさまそう

ちぎれそうに吹きすさぶ
風の平手打ちに誘われて
めざめた魂が高原を走りまわるのだ

友よ
私が死んだからとて
悲しんだり哀れんだりすることは無用なのだ
私にひとかけらの友情らしいものでも
抱いてくれるのなら
それはただ私を忘れて立ち去ることだ

世の中に別れを告げた私が
生きる人々のうちに
なお映像としてとどまることは耐えられない

私の墓を
いくたびいくたび過ぎる春秋の中で
人々の歩みと
やがては
忘れられた勝鬨さえ聞くことが出来るだろう

友よ
その時こそ私の魂は歓喜(よろこび)に満ち
その時こそ私が死ぬときなのだ
墓の中の魂は春にめざめ
再びの別れを
その墓に告げるときなのだ

友よ
その時こそ忘却の中で
大きな旗を
大空に向かって打ちふってくれ
その逞しい腕のつづく限り
私に向かって打ちふってくれ

友よ
別離の時とはまことにある
朝がきたら--
君らは私の名を忘れて立ち去るだろう

【乳房】
白い乳房のひそやかにうずく
初夏(はつなつ)の胸寒い夜

幼ない指で若さをかぞえてみる
ああ遠い荒原に足音がきこえ

もたらされるものは
甘いやさしい夢ではない

私はシャツの暖かみから
乳房を離して
あらわな白い塊に
遠いひびきをしみこませるのだ

やがて風の訪れに
──私の乳房は
血に染んでたおれるだろう

それでもいい

暗い荒原の風をおもいながら
ゆれ動く乳房はかすかにうずき
今宵ものかげを離れようとする 

【招待】
私の胸の中を深海魚が泳ぎまわる
ひそやかに……
この夜に季節はない
私は白い手袋をはめ
暗色の喪服に身をかためている

逆ろうすべもなく 私は抱かれている
私はすべてを賭けてしまった
——おなじ所に
生きていることを 死んでいることを
ありとある地球の舞踊を

私は私のものならぬ恋人と手を組んで
華やかな十二色のアーチをくぐる
私のためにしつらえたと思われる
このざわめく墓標を
ガラス張りのない水族館
びょうびょうと果てない海のその果て
ひとり泳ぎ消えて行く鋭角の悲しみ
そして今 耳傾ける最後の演奏
細かい音符をつくり出す
おどけた傾斜

ふりかえる私に何かの後悔があるか
この祝典の主人公へと
心より感謝を捧げつつ
はたまた墓掘り人夫へと
わが遺書を捧げよう
心よりこの祝典のならわしに従いて
ここに この世おさらば

【告白】
真紅なバラがもえながら散ってゆく日
忘却の中から私をみつめる
冷ややかな眼差(まなざし)しを知った
夏の最中(さなか)が訪れようとしているのに
シャツの縫目をかすめて
大気の幻がひっそりと針を立てる

病におかされた感受性が
このバラのように散って行こうとした時
たった一巻の書物が
だまって蕾(つぼみ)をつくらせたのが
いま私の孤独の胸にしのびよる
このかすかな郷愁は何なのだろう

真赤なバラがもえつきて散って行く日
私の心の瞳をみつめる
大きな冷ややかな瞳を知った
青い海に沈んだ肖像の
睫毛(まつげ)の長い透明な瞳を
ひとたびかちどきをあげた闘争のみちなのに
私の歩みをとどめる
この郷愁は何なのだろう
ひとたび故郷を出た私の前を
階級は闘争をもって待ちかまえているのに

真赤なバラが燃えつきて散って行った日
忘却の中から私を見つめる冷ややかな眼差に
白い旗のように烈しくふるえながら
卑怯な人間になりたくないとつぶやきながら
私の心は最高の孤独をいだき
民衆の中にとびこんでゆく 

〈17歳の詩集より〉
【旅立ち】
光る鋪道が目にまぶしい
もはやおさらばを告げてよい時節

喫茶店よりコーヒーの香りは失せ
悲しい玩具が飾り窓に
あれが私の生命——
母よ
静かなくろい旗で遺骸を包み
涯ない海原の波打ちぎわから流してはくれまいか

私の魂は波頭を越えて
あなた方の
知らぬ異国の旅人となろう
母よ
渚に立ちながら
私は何の幻影もなく
あなたの名をおもう
私を生んだ
あなたの生殖器に思いを走らせる

母よ
あなたはオーロラーを知っているか
あなたが幼ない恋人の胸に抱かれた時
あなたはふと北国の氷山を
燃えあがる心の内に浮かべはしなかったか

——あなたの古びたアルバムを土蔵の隅から発見して
私は捕鯨船と
そのマスとに登る
しなやかなあなたの眼ざしを見た

母よ
私の心に暖かいざわめきが漂ってくる
あの暖かいあなたと恋人のロバタには
私の誕生を祝う余地はなかったはずなのだが——

私は私がおどどと立ち上がった所に
あなたの遠さを道ばたに捨てたまま
かえって行こう

もし幾年かの後
あなたが小さい女の子を思い出したなら
私のベットの固さに驚ろかれることだろう

私は何の夢もなく旅人を志願した
遥かな異国の街々で
とどける術もない
あなたへの贈物を買おう
珍らしい宝石や美しいヴェールや
そして
あなたに教えられなかった
無為の花々を

【涙】
あおい波肌にひといろの涙だけが光っている。
もしあれが私のものであったなら
私はとんだ嘘つきをやってのけた。

涙なんぞは絶対に——
と うそぶいてやったもんだ
私の恋人らしい人に。

海の彼方から郷愁が押し寄せて来る。
もう私は堪え切れないのではないだろうか。

光りすぎるペン先。
透きすぎて何も見えないフラスコの中の泡末。
ねえ 友よ
私は心を持っていたか。

この純白のテーブルの上に
貧しい収穫をぶちまけよう。
——私は一度も恋をしたことはないし
またこれからもすることはないし——。

処女(おんな)。童貞(おとこ)。
こんな活字がどうしたというのだっけ。
友よ
あなたの差出す掌の上にのせるものは
このように用もない質問ばかり。

ごきげんよう。ごきげんよう。
海が
海と港と海水浴場と
ビーチ・パラソルと安慰な渋面を押し流して来る。

私にふれるすべての景色をぐらつかせながら
私は人気ないスタジオに
酔わぬ前からの千鳥足。

いいかげんで損な真似だけは止すものだ。
友よ
あなたのカメラは私の心をとらえはしない。
友情とは
黙っでみつめていることではないよ。

残されたのか、捨てたのか。
広い渚にただゝ一人。
たとえ水晶のようにやせこけたって
波よ
お前の気まぐれな相手はごめんなのだ。

頼りにもならない城壁に守られながら
どうやら今夜もあせるばかり。

ちょうどこんな時刻
ひたひたと言葉をもらさず
白いガラスが心に押し寄せる。
お前の手招きに応じてみようか。
月が曇天の真中に赤い。

——私に涙があるものなら
足を浮かせてお前の所に飛んで行くだけ。
裏切られても。なぐられても。

遠い波肌に心が光る。

【墓標】
うしなわれた数々の幼ない画集の中
流れながら野辺おくりの郷愁の唄が光る

朝飯にと供せられた一切れのパンに
あのキューバの砂糖をつけて口に運べば
あまりに困惑した眉根がうかぶ
——自ら訪れて年をとろうとした
 苔むした墓場のかぎ
——自ら生命をたとうとした
 あまりに底ぬけな空の青さよ

死にそこなった疲れに
むなしく窓外をみつめた時
あてどなく雪は降りつもっていた
そのゆくては見えず
充血した脳髄をひやすように
どこともなく駆けて行く
馬車のわだちを聞いたのだ
小さな風気孔から血が降ってくる

この別れに何と名をつけろと迫るのだ
私はドアを閉めて外へ出た
閉ざされた窓に風が吹きつける
雪よ あの家を埋めろ
私の墓標はこの涯ない草原に群をなす
裸体の人々の中にある
すでに家を捨てた者が
逞しく この草原を闘いを知ったのだ
打ちのめされるかわりに打ちのめすことを知ったのだ

雪よ 闘いの最中にこの身に吹きつけようとも
もうすでにおそい
私は限りない闘いの中に
私の墓標をみた

〈手記より〉
【友へⅡ】
私は多くの残酷な血潮を浴びて来た。最後に私の肉体を流れる
血潮の全部で私の魂を染めなければならない。もし皆が私の真の
友であるなら、私の死を冷たい批判……悪罵と嘲笑をもって受け取り
そして一瞬の後に忘れ去ることだ。私の名を皆の記憶の中にすら
とどめないことだ。せめて最後にあたって、このまことのさようならを
私は言いたい。敗れ去り消え去るもののすべてを忘れ、純真な魂と
誠実な瞳とを傾けて、ひたむきにこの世紀の混乱のただ中を生きて
行く皆の前には常に栄光が輝いてあるだろう。たしかに私はめちや
くちやにひっかき廻した。だが友よ安心するがいい。皆の静寂を破り
続けた無鉄砲な嵐は自分のものであるその嵐を自分の心臓に打ち
つけて、その賭けの中に死んで行ってしまうから。”祈りは恥である”
とニーチェの言を鼻の先にくっつけて、皆の幸福を祈ろうか。
どうか静寂であれ、幸福であれとかつぶやくことにして。