長澤佑

長澤佑(ながさわたすく)1910〜1933
1926年2月17日、新潟県中蒲原郡村松町に生まれる。小学校を出、町の呉服屋へ3年間奉公。1926年上京し、友人と古雑誌の行商などをするが失敗。18歳の失意のなかでパン屋に就職。1928年、新潟県下の大小作争議の実体をみて急遽帰郷。貧農プロレタリアートの自然発生的流浪性にとどめをさし、戦闘の渦中に身をさらすべく「全国農民組合新潟県連合会南部地区事務所」に常任書記としてニ年間働く様になる。そこでダラ幹たちに対抗し「全国戦闘協議会」をつくりその先頭に立った。「4.16事件」で兄が検挙され一家四散する。1930年ふたたび上京した。納豆売り、玄米パン売り、牛乳配達などをやり、金沢、大阪あちりを放浪した。1931年、都市プロレタリアートの自覚的転職を通じ、抬頭しつつあった日本プロレタリア作家同盟に参加し、ものを書くことに重きを置くようになる。1932年、同盟の新潟支部強化のため帰郷後21時間以内に逮捕された。1933年2月、栄養失調と脳結核のため死亡。拷問による衰弱と考えられる。

【貧農のうたえる詩】
春―― 三月――
薄氷をくだいて
おらあ田んぼを打った
めっぽー冷(はつ)こい水だ
足が紫色に死んで居やがる
今日は初田打
晩には一杯飲めるべーと気付いたので
おらあ勇気を出した
ベッー!!
手に唾をひっかけて鍬の柄をにぎった
だがやっぱりだめ
手がかじかんで動かない
ちきしょう
おらあやっぱり小作人なんだ
それから夏が来た
煮えかかるような田の中で
俺達は除草機の役をする
十日も続く 指の先から血が滲む
其のいたいったら
ちきしょう!
地主のうちの娘っ子が通る
メンコイ顔した娘っ子が
町の女学校へ行くんだ
柄のデッケイこんもり傘だ
涼しそうなパラソルだな 俺んもな
妹の野郎がおふくろにしゃべった
馬鹿野郎 だまって仕事しろ
俺は呶鳴った したらみんなだまった
また今年も半作だぞ
親父が暗い顔で言った
地主の野郎は今頃扇風機の三つもかけて居やがるだろう
ああ暑くて死にそうだ!
おらあやっぱり小作人なんだ
渡り鳥が来て秋に成った
それからすぐ又冬が来た
親父が又言った
今年も半作だぞ……
然し俺達は今迄の小作人では無かった
村では去年にこりて
組合を作ることにした
下村の奴等が仲間に成れと云って来た
だが 俺達は
一番しっかりした組合
全農の仲間入りをした
全国農民組合新潟県連合会南部地区西南部小地区
恐ろしい長い名前だ
おらあ何度もケーコしたが
まだおぼえられねい
そして演説会があった、俺は聞きに行って
新しい言葉をおぼえた「何たる矛盾ぞ」
俺は早速帰って来て呶鳴った
働く者は貧乏する!
遊んで居やがる地主は金持だ!
「何たる矛盾ぞ!」

【白い魔の手】
七月――
焼けただれた太陽が地を射す
幽明の地をめざして
行進する華やかな一群
臨時列車は
――海へ
――山へ
……………………
誰だッ?
汗を吝(お)しむ奴等は?
土堤の上には
わんわんと燃えるかげろう
じりじりと焼きつける田の底
頭上には、太陽が
ありつたけの元気で踊ってる。
紺碧の空に浮ぶ一点の雲
みどりの田の面をなでてゆく微風
すがすがしい夏の気分へ
おお、それさえも
一瞬の間
あとに残るは……
汗と疲労と空腹の俺達だ!
土堤の木影に眠る幼児
乳のみ児は、
炎天の直下に、
悲痛な喊声を張りあげ、乳首を求める。
権利の主張を……
その意気で!
よお、未来の闘士達よ
頑丈に育ってくれ!
白い幕の向うから、
チョビ髯の園長がほざいた。
――総べての人間を愛しましょう
――汗を吝んでは成りません
「愛と汗」
――これが修養団の信条です、
それは、彼奴等、
汗を吝む奴等のマワシ者だったのだ!
組織へ!
闘争へ!
闘争を通じて拡大強化へ!
おれ達が、真実の叫びをあげて起ちあがってより、
彼奴等の魔の手は、
いくたび……
俺達の目をかすめようとしたことか
今また新なるインケンな敵の捕手(とりて)
「白色の倫理運動」
こいつ!
白い魔の手だ!
農村へ、農村へ
思想善導の重大な使命を帯び
全国の農村へ散った彼奴等の捕り手、
からくりの糸!
白いマの手の正体は?
汗のショーレイは、労働強化へ!
叩き込まんとする祖国愛の幻影は?
おお、そうだッ!
これこそ、
帝国主義戦争の危機をまえに、
俺達の陣営をカク乱せんとする
あいつ等の最後の手段だ!!
七月――
捉らわれた同志は檻の中、
そとの兄弟は、
炎天下に、シャク熱の電波を浴びて
オレ達の大会準ビへ!
あぜみちを馳けまわる小さな闘士は、
大空にむかってオレタチの歌を唄う!
そうだ!
その意気で……
その力で……
あいつを!
あいつを!
白い魔の手を叩き潰して
兄弟よ!!
俺達の陣を頑丈に固めろ!
―修養団西川支部発会の日に―

【レポーター】
夜の十一月
北国はもう冬の寒さだ
硝子屑のような鋭い空ッ風が
日本海を越えて吹いて来る
荒涼とした夜の越後平野に
点々とみえるにぶい灯
あれはみんな仲間の住家だ
革命記念日の闘争を前に
ヨビ検の魔の手を逃れ
移動事務所を此処に持った二人の書記
今日で四日の穴居生活だ
沈黙の中に一切の準備は終り
武装された兵士は
現在(いま)――
戦いの野に旅たたんとしている
そとは夜更けだ
野末を渡る夜烏の声
全神経を耳もとへ集めて
(あれは犬の遠吠えだ)
宜し、時刻だ
パッと灯が消える
暗――
「ひとっ走りに行って来るよ」
「ん、大胆に細心に……」
「オーライ」
レポーター仙吉は
納屋の小窓を飛び越えて
暗の中へ――

【母へ】
――併せて貧農の母達へ――
1929年4月16日未明、同志吉田君はやられた。彼の家は家宅捜索――神棚は勿論、土間の隅まで掻きむしられた。翌30年11月、彼の愛弟は裏の河へ落ちて死んだ。彼の家に起ったこの二つの事件は、地主の嬶共に依って次のようなデマを生み、部落内へ流布された。「神様を粗末にするから罰が当ったのだ」と。
桐の葉もすっかり散り
秋も漸々(ようよう)終ろうとする頃
寒い11月の朝だった。
ささやかな葬列を囲んで
俺達は山の共同墓地へ急いだ
冷い氷雨は人々の頬を横なぐりに打ち
びっしょりと濡れた白木の棺は
寒さに凍えた
親父は沈黙(だま)り込み
「三ちゃあー」
たった一人の妹は死屍に抱き付いて
幾度も幾度も弟の名を呼んだ
そして母親は泣き乍ら我が子に詫びた
「俺の不注意から」と
俺は只怒りと悲しみの中に
彼の死を送った
「そんな噂は聞きとうも無いわ」
地主共のデマを耳にする度
信神家の祖母は俺を恨んだ
あの日――忘れ得ぬあの日――
四・一六の朝
俺の姿が門の杉垣を消えぬ間に
一切は奴等の手に……
神棚はめくられ仏壇は倒された
祖母は憎んだ――限りなく
只、孫の行為を憎んだ
秋深い朝
貧農の赤坊が死んだ
水に溺れて――
妹は愛弟の死を悼み
母親は自分を責めた
そして祖母は口説く
「これも運命じゃわい」と
俺は只――真実を知るが故に
憎しみを胸に燃しひそかに
(だが固い)復讎を誓った
総べての弟妹達の為に――
お前等は云った
――これも運命だ、と
――俺の不注意の故為(せい)だ、と
一人遊びの出来ない幼児を放って置いて
それが運命か
不幸な運命を背負った俺達の子供
愛する我が子の存在をも忘れて働かなければ成らなかった母親
だのに……
俺達をこんな境遇に追い込んだ奴等は
何んと云ったか?
――神の天罰だ――と
祖母よこれがほんとの神の姿だ
俺はお前等に向って
今こそ真実を語ろう
――弟は殺されたのだ、と
俺達は愛そう!
親を子を兄弟を
幾百の幼児を殺し
いく万の兄弟をベルトに巻いた奴等に向って
戦への旗を押し進めよう!
子を愛する自由を奪われている一人の母よ
総べての小作人の母達よ
今こそお前等は
全世界の婦人労働者の一人として
俺達の戦列へ加わるのだ
さう母よ
行こう!
伜と一緒に――
伜と同じ道を進むのだ。

【親父の言葉】
この頃の寒さに
足腰の痛みに
わしは憶い出すんだ
忰のことが
やっぱり親子のつながりだわい
「お前等にもわかる時が来る」
今になって彼奴の言葉が身に滲みてくる
彼奴(あいつ)の云ったこと
彼奴のやって来たこと
やっぱり貧乏人のやらねばならんことだったのだ
憶い出すと身震いがする
彼奴の入営した翌年
春の大争議にわしら四百の小作は
××川の土堤で警官と軍隊に取り巻かれた
鍬が飛んだ、石が飛んだ
剣が抜かれた
そしてわしまでしょっぴかれたんだ
地主小作の争いに軍隊が飛び出した
あれから村が変って来たんだ
わしのあたまも
嬶のあたまも
警察は地主の犬
幾どの争議でわし等は知った
そんだがわし等はたまげた
まったくたまげて終うた
軍隊も地主の犬――
わし等は一時この世がどうなるかと思った
忰がいった秋の演習に
ビラを撒いて憲兵に捕まった時
わしは彼奴と非呶い喧嘩をした
「戦争反対」――ビラの文句に
わしは嬶と一緒になってがなりつけた
「いまにわかる時が来る」
その時彼奴は悟を開いた禅坊主みたいに
平気なつらで云ったっけなあ
実際にあったんだ
この目でみたんだ
そして頑固な土百姓のあたまが悧巧になったんだ
わしを怒らした忰の言葉が
役にたったんだ
全警察もわしらの敵
全軍隊もわしらの敵
だがわし等にも味方はある
そうだ、あの時
かねば持って応援に来てくれた都会の労働者 あれこそが
わし等の心強い味方なんだ
奴等の金儲けの為の戦争は大反対だ
都会でも農村でもみんなやってる
忰は満州の野っ原でそれを
弟の野郎も村の若い奴等とビラ貼りに出かけた
わしも出かけよう
今夜は組合の書記さんが来て**事件を語るそうだ
新聞になど出ないほんとの話をするとのこと
野郎共のからくりを知る為に
忰達の便りを聞く為に
疲れてはいるがわしも出かけよう。

【蕗のとうを摘む子供等】
――東北の兄弟を救え――
三月の午後
雪解けの土堤っ原で
子供らが蕗のとうを摘んでいる
やせこけたくびすじ
血の気のない頬の色
ざるの中を覗き込んで
淋しそうに微笑んだ少女の横顔のいたいたしさ
おお、飢えと寒さの中に
今も凶作地の子供達は
熱心に蕗のとうを摘んでいる
子供等よ!
お前らの兄んちゃんは
何をして警官に縛られたのか
何の為に満州へ送られて行ったのか
姉さん達はどうして都会から帰って来たのか
お前らは知ってるね
何十年の間、お前らの父ちゃんから税金を捲きあげていた
地主は
お前らの生活を保証してくれたか?
おまんまのかわりに
苦がい蕗のとうを喰うお前らの小さな胸にも
今は強い敵意が燃えている
天災だと云って
しらを切ったのはど奴だ!
「困るのは小作だけではない」
そう云った代議士(地主)の言葉にウソがなかったか
子供等よ! いつ地主の子供が
お前等と一緒に蕗のとうを摘みに行ったか
いつ、地主のお膳に
ぬか団子が転っていたか
修身講和が次から次へとウソになって現れて来たいま
おお お前らのあたまも「学校」から離れる
北風の吹く夕暮れ
母親は馬カゴのもち草を
河っぷちで洗ってる
子供らはざるを抱えて家路へ急ぐ
背中の児は空腹を訴えて泣き
背負った子供は寒さに震える
だが 見るがよい
水涕をたらした男の児等の面がまえを!
児を背負った少女の瞳を!
おお、凶作地の子供等よ!
その顔に現れた反抗と憎悪をもって
兄んちゃんのような強(き)つい人間に成れ!
苦がい蕗のとうのざるをほうり出して
父ちゃんから税金を捲きあげた奴等に向って
あったかい米のご飯を要求するんだ!