中澤清

中澤清(なかざわきよし)1932〜1954
前橋市に生まれる。1945年、敗戦のショックが大きく勉学の方途を失うが、文学・絵画への志向に目覚め、詩作・絵画創作に熱中する。詩誌「詩風」や「文学集団」に評論や詩を発表。高校の美術部員となり街頭に立ち建物を写生する。1950年、群馬大学の第二部美術専攻に入学。絵画とともに詩作に傾注し、「海図」「上毛新聞」「青猫」等に詩を発表。学友と詩誌「詩土」を創刊。哲学研究部に所属し、詩は宗教的行為であるとして、聖書を援用した詩作を、「π」「構図」「群馬公論」等に発表。1953年、詩土や青猫主催の展示会に詩や絵画を発表。12月、蔵書・書簡・創作ノート・絵画を焼却。大学の校庭で失神し、シソフレニー(統合失調症)のおそれありとして入院。死を予感して遺書を書き、尾瀬を埋葬の地に選ぶ。翌年6月4日、心臓麻痺により死去。

『みしらぬ友』中沢清(1956)
『みしらぬ友―詩画集・セピア色の青春』中沢清(講談社/1995)

【骸骨】
寒い色ずりガラスの市街を
足のない骸骨が流れてゆくのを
あなたは見たことがあるか
しぼんだカアネイションの
淡い腐臭をただよわせて――
ああ それはぼんやりと流れている
夕暮が 舗道をおおい
煉瓦造りの建築の窓に
黒い髪の毛の女が泣きふしている
ごらんよ
幻燈の雪のように骸骨は
紫色の血をしたたらせて流れて行く

【醜き頬紅らめつつ】
とも子よ
あなたは水を愛するだろう
いじらしい あなたの産卵期が終るころ
草木が まっかに 燃えるころ
空が 円錐形に 澄み渡るころ
あなたの死骸は 水の上を流れるのだ
真空の蛙の死骸
眼も真空
いぶくろも真空
子宮も真空
髪の毛も真空
そうして
あなたは どこまでも 流れていくのだ

【二つの町】
ぼくたちは別々の町に住んでいる
ケイという町
エムという町
あなたとぼく
ケイという町には
水のまんまんとあふれた
一すじの川がながれている
エムという町には
桜並木の歩道にそって 銀河のように
白い一すじの川がながれている
ケイという町の まん中には小さな橋がある
あなたのハートのように
エムという町の まん中には小さな滝がある
ぼくのハートの ように
宝石のよう小さいぼくたちの町
凍てついた大地にちりばめられた
ルビイとエメラルド ぼくたちの町の空を
今日も 雲はふかれてゆく
そのはては遠い海の上の空
ぼくたちの町をつらぬいて
今日も 川はながれてゆく
そのはては大きな空の下の海
淋しい二つの宝石のように
ぼくたちは遠くはなれて別々だけれど
ぼくたちの川は深い海で結ばれている
ぼくたちの町ははてしない空で結ばれている
ケイという町
エムという町
あなたとぼく
今日も 澄みきった空の下を
二すじの川は流れてやまない。

【つい昨日まで】 A AKIKO IGETA
  笑わないで欲しい。間違いだった
  みんな間違いだった
つい昨日までぼくのことばは 樹をも
揺り動かせ得ると信じていた
だが樹は少しも揺れ動きはしない
それどころか それは ぼくの存在を
てもなく揺さぶり ぼくのささいな営みまでも
規制してしまった 手足はことばに導かれて動いた
ぼくは自分のことばの囚となって
その重みの下で いっそう身を狭め 眼を
瞑ることにならされてしまった
きっと ぼくは眼をつむって歌ったのだ
見えないことは ますます 不安に彩られたことばを生み
しまいには 見えないこと暗黒の寺院の中で ひたすら
己の中に沈むことこそ 真の見る力を具え得る方法と信じた
だか そのようなことばが 樹を揺り動かせたろうか
ぼくのことばに一本の樹木の豊かさが あったろうか
つい昨日のことだった その樹木のそばに
君があらわれたのは
言い知れぬ輝きが ぼくを襲った
ぼくは はっきりと あなたを見ようとした
だが長い間 育まれた黒い習慣は
重くぼくの心を鎖し ことばを幽閉し
ぼくを内側から押さえつけた
しきりに焦るのだが
ああ ぼくの瞼は 開かなくなってしまったのだ
今では はっきり わかる
ひきずりまわされているぼくの様子が
樹は 少しもざわめいていないのに
ぼくだけが揺れている
底の底から 大揺れに揺れている
これではいけない
はじめから 出直して 新らしくことばを把みとろう
そして 樹の梢ばかりか その太い幹までも揺れ動かしてみせよう
そうなれたとき 君に逢おう
そして はっきり 君が見えたと断言しよう

【出目金魚の新年の詩】
新年だ。
ほうほうぼうぼうの毎日だけれど
やはり魚燐は一枚ふえた。
まっ赤な鱗がぴたりと生えた。
眼玉も一まわり大きくなって
おかげでしんとう迄づきづき痛む。
(一まわり大きくなった眼玉は重い)
(鱗一枚ふえると苦しい)
涙さえ体中にしみるのだ
隣りを泳いでいる同族に
眼顔で泣き笑いをしてみせたら
そいつもビー玉のように澄んだ眼に
キラキラ涙をにじませながら
そのでっかい眼玉で大きく笑った
冷たい水温はあとからあとから押しよせる。
(一寸先も見果てない)
(去年と何のかわりもない)
それでもせっせと泳ぐ数千万のわれらの背には
数千万の朝日の乱射。
ビー玉のようなわれらの眼には
見果てぬ空の美麗な虹がうつつている。

【眼】
ぼくの眼はカドミウムイエローの太陽である
ぼくの額は融通無碍の円である
影は深く切り込んで渦巻き
光は青空のように燃える
燃えろ カドミウムイエロー
ゴッホの眼のようなカドミウムイエロー
金属のように反響する
燃えあがるカドミウムイエロー
ぼくは 日毎夜毎 ぼくの額の裏側から
其奴を見るのだ
そいつは いつも その背景の深い森林の奥底から
じっとぼくをみつめている。

【馬鹿】
観念が私をがんじがらめにしばっている。
私には沢山のコルク部屋がありすぎる。
私は蔵書癖をきらっているが
やっぱりそれは埃のようにたまって離れない。
泣くときは幼児のように。
星をみつめる瞳は星をみつめる瞳のように。
星から瞬き返す光のように。
影を作るまい
観念の林 その中にいるとき
私はすべてから遠い。
またやっと見つかったと思ったのに。
やっぱりぼくは馬鹿です。

【私の失われた眼について】
私の失われた眼について
私は光を失った と
諸君の前で語ることは出切る
だが 私は私の生を失った と
自分自身について語ることが出来ようか
祈るべき この口が閉されたときでも
私は かけがえのない唇を失った と
紙片に書き示すことは出来る
だが 私は私の生を失った と
どんな高価なレターペーパーにも 書き記せはしない
双眼の輝やきの失われたあとには
他愛もない ありふれた暗闇が来る
私の肉身に襲いかかってくるものは
ありふれた苦痛と屈辱である
私はありふれた俄か盲になるだけである。
そのように、私にも、ありふれた死が来る
私の手足や胴体は腐った砂粒となって残る
が 肝心の私は何処にも居なくなってしまう
そのときから 私には
失われた眼についても 唇についても
私のものであった私の生についても語れなくなる
また 誰にも かつて私が存在していたとは信じられなくなる
此処には一枚の写真が残る
生身を賭けた私は居なくなって
白っちゃけた いつまでも微笑している男の
横顔が残るだけである。

【秋】 A HIDEKO HAGIWARA
ぼくは何も持たない
ぼくの掌は遠くへとどかない
だが世界はぼくのために掌をひろげて
待ってくれているようだ
ぼくはいつも黙って掌をさしのべているだけ
だが世界はぼくのところへ握手しにやってくる
ぼくはやがて無一物となる宝石筐
この掌もいつかはかえさねばならない
だがそれはぼくのために返すのと同じこと
ぼくはいつも無言で掌をさしのべている
何もかも失わねばならぬにしても
やはりぼくはぼくの掌が
季節の贈物でいっぱいになることをのぞんでいる
ぼくは掌をひろげて立っている
(だが誰がぼくのために待ってくれているであろうか)
だれもぼくの掌をのぞきこまない

【公衆電話 1】 A HIDEKO HAGIWARA
日の暮れ方
公衆電話のボックスに 灯がともっている
鮮やかに そこだけが明るい
そこで電話をかけているのは誰だろう
糸杉のように黒い人影が動いている
(どこへ かけているのだろう)
その人は知らないのだろうか
市内電話の通話線は もう 永い前から途切れていることを
(このボックスは 無言の電話口であることを)
それだけが鮮やかに明るい
夜の街角の公衆電話……
冷え冷えと凍った黒い受話器を取り上げて
その人は 何を語っているのだろう
(どこへ かけているのだろう)

【イチジクの歌】 A KYOKO TSUKADA
ひそやかに
しかも わずかな広さではあるが
彼女は空を截(た)っている
通りすがりの盲人には
彼女は見えぬだろう
風が 彼女に語りかける
空が 彼女を 透明な愛で抱き
朝夕の光が
彼女の額や頬を飾る
彼女は 庭に
小さな けれど
大地のすべてに展かれた
庭に
一本の樹として生れ
そして生きる
彼女は 静かな庭の
まずしい主にしかすぎず
彼女はささやかな清潔な
王領しか持たぬ
ときに いらだち
ときに激しく身をゆさぶりつつ
数多くの訪れに拒(あらが)う
彼女に虚飾と安穏の花は
咲かない
彼女は花を持たずに
実を育くむ
 (いつかは 伐られることであらう
  庭の王妃よ……
  だが伐截は新らしい
  異質の生のはじめでは
  ないであろうか……)
彼女は樹である
彼女は 実り多い樹である

【すべての人よ ぼくを】
すべての人よ ぼくを
罪するがよい ぼくを
釘づけにするがいい ぼくは
この白い手で 人を殺した ぶどうの
実をつぶすように けれど ぼくは
それに気づかなかった ぼくの
知らず知らずの一触れが その
小さな葉虫のような いのちを
失わしめたと 友よ
ぼくを罪するがいい ぼくの
ことばは彩られている ぼくの
魂には うつろな風が死んでいる そして
ぼくの胸には汚物が満ちている けれど
ぼくは 五月の陽のように笑いながら人に
触れる
ぼくは石の柩をつくろう 友らよ
ぼくを きゅう問するがいい ぼくの
思い出すことさえ出来ない遠い昔の宗祖の
犯した あのおびただしい罪の数々を
ぼくに問うがいい ぼくは
茨の丘に 捨てられるにふさわしいものだ
友らよ ぼくを 裸木に くくりつけよ
そして
ののしるがいい ぼくを

【詩・宇宙(コスモス)への通信(コミュニケーション)】
ぼくらは世界を変えなければならない
ぼくらはその激しい移り変りの時代に生れた
世界がその古びた衣裳を全く捨てねばならぬ時に
だからといって 友らよ
ぼくらに北十字(キグヌス)を殺すことが
出来ると思ってはならない
ぼくらは ぼうぼうの夜の野原に
あかりをともす者だ
そのまばゆい灯火の中にぼくらは生きている
けれど 灯火はそのささやかな周囲をしか照らさず
世界はその光の環を超えて
ぼうぼうとひろがっているのだ
燈火の中のみでの出来ごとは
騒がしい誤った移り変りだ
たしかにぼくらの貧しい輝きは北極星(ポラリス)におとりはしない
けれど北極星に優ることもない
しばしば あかりは闇夜の星たちとぼくらをさえぎる
友らよ ぼくらをまどわしているそのあかりを消すがよい
ごらん
たくさんの友らと手を結びつつ
それらの友から遠く離れて
ぼくらの地球が周りつづけている
それどころか 世界も 又
すべての者らと共に 限りない旅を続けている
静かな歩みのうちに

【未知らぬ友】
樫たちは その季節をむかえると
ひそかに 葉をおとし 枝をふるわせる
君も 亦
その輝きの失われた庭へはいっていくとき
言葉を失う 家々を 友を失う
そして 身近なところに
誰か近よってくることを感じる
ああ その人はしわだみた頬をした
白衣のひとか
額も 頚すじも見えない
その冷い掌の はじめての友と
無言の握手をかわすとき
石英の触れあうようなひびきをたてて
風が吹きすぎる
いま 君のかたわらを
白い息をした歌が走りすぎた
そして それは 二度と戻らない
友よ 胸になお痛みの火は焚かれているか
その炎は君の住みなれた家々や庭にもどろうとあがく
最後のよこしまな努力だ
だが いま 君の足は
一つの庭から全く異なった他の庭の土を
踏みつつあるのだ
だから 病は夕暮のひとときだ
あるいは あさあけの あの底知れぬ冷たさだ
己が姿のうつりかわりのための
その試みをよろこんで受けよう
あの賢い樫のように
すべての葉を捨てるがよい
そこは波の凍りついてしまった湖
ひととき君の胸は波さわぎ
また 静まる
そして 君はそのまま眼を閉じ
すべてから 己れを引き離し
未知らぬ親しい友の
冬の大地のような掌に
己が躬(からだ)を 委ねるのだ
君のうちの夜空の
最後の星が消える そのとき
君は眼をひらくがよい
やがて
ほんとうにはじめてのあさあけの滴が
君の瞼にしたたるだろうから