續木公大

續木公大(つづききみひろ)1921〜1945

『續木公大詩文集』續木公大(私家版/1928)

【他人の耶蘇降誕祭】
雪の一片で私の煙草の火は消え
吹き殻は、積つた雪の上へ。
落したまんま私は踏み越えた
馬鹿げたあきらめで舌打した。
私は遠方を眺めた取り巻く山を、
火の消えた寂しさに似たものが
山を白々と染めてゐた、山を白々と
私は歩いてゐた、雪の降る雪の上を。
幼い時、よく上を見上げたものだが
雪はたしか 白く光つて降る星
炬燵の中の童話も愛すには愛したが
雪に倒れた孝行娘の話に尚更ふるへた。
12月24日の晩といへば今晩のことだ。
しかも他人に奪はれた灯火の樣に暗いと思ふ
街も過ぎた、私は今 窓の中に
色蝋燭の揺れる焔(ほむら)を見て來たばかりだ。

【夜の誘ひ】
靜かな川の流れの傍で
二人は座つて話して居た。
川面は暗くてよくは見えないが
二人の居る室内は光りで明るい。
わたしは言葉を鎮めて
まるで思つても居ないことを
ぼつぼつと話して居たのであらうが
それが相手に何を判らせたであらう。
相手はだまつて私の物語に頷いた。
而し二人は靜かな靜かな川傍の家で
唯々暗闇の夜の底にかゞやいて居る
明るい胸と心のさゞめきを感じて居た。
私は更に何事かを囁き
相手は更に強く頷いた
而し二人の心は默つたまゝで
激しい舞樂の誘ひに觸れてゐた。
靜かな川の流れの傍で
川の面は暗くて全く見えなかつたが
二人は默つて掌をとり踊り狂つた
私の掌と「夜」の掌と、私の心と「夜」の心と。

【冬鋭心】
草の穂が光つてゐた
屋根瓦も光つてゐた
ありきたりの冬が來たやうな
空ことごとく冴えてゐた
鋭きこゝろは捨て場もなかつた
書き割りの月も出たやうな
銀杏の落葉が匂ふてゐた
古寺の横手に立つてゐた
だが今宵は冬がしみじみと、
ありきたりの冬ではあるやうな
書き割りの月ではあるやうな
だが今宵は冬がしみじみと。
【絶間】
聽かまほしきは絶間なり
鳴き繼ぎ冴ゆるほとゝぎす。
なるものぞ
空の絶間のひと聲は。
聽かまほしきは絶間なり
轟きよする磯邊荒濤。
なるものぞ
海の絶え間のひと聲は。

【やさしさ 或ひは「新聞記者の速記」】
世界的拳闘家が
やさしいコスモスの花束を抱いて、
筋肉の鍛えにふくれ上つた顔面を、
うす桃色の花にすりつけて居た
秋のはじめの心持よい中庭。
彼はそのあとで
紅茶をすゝり乍ら
私に話した處によると、
今彼が仕合しても
到底勝つ見込みのないものは。
彼は中庭のコスモスを指して、
につこりと、私の方を見たのです。

【冬暮れ】
赤い
夕暮れの雲の飛んでゆく
彼方には何かいゝものがあるらしい
冬の木立が
黒ずんで
私の目を悲しませる。
五羽の鳥も
三匹のいたちも
風も飛んだ
彼方の空へ
「夕焼けが燃えてゐるところには
何か華やかな事があるらしい」
けれど私はゆくことが出來ないで
赤い椿の花を眺め
色變りしてゆく椿の葉を眺め
あゝ、私は
冬木立の彼方へ
華やかなところへ
ゆきもようせで
泣けもしないで。

【林檎の種】
去つて行つた彼女の卓子の
白い卓子掛の上に
あゝ、たつたひとつ
落ちてゐた林檎の種
何といふ小さいふつくらとした
ひとつの存在であることよ
可愛いゝ赤い口からもれた
暖みある聲が
そこに秘んで居る
去つて行つた彼女の卓子の
その卓子の上には
あゝ、彼女の口から飛んで出た
ふつくらとした林檎の種。

【旅立つ部屋】
立ちて窓被ふ水色の幕をかゝげ
雨數條の池を見る。
立ちて行李の腹を締め、
一筆さらさらと荷札を書く。
また立ちてあるは扉の汚をぬき
何日の日か塵に大きく微笑ませたる繪姿をも。
しめやかに簡素にあれとひとわたり
殘りものなくかくはきよめて。
立ち出でむときあなあはれ
額あつて高きところ。
塵かゝり忘られむとす、桃色の言葉人束、
もれ聞かす唇もなく、さし出す腕(かひな)もあらず、
旅行く人は扉を閉す。

【僞瞞(いつはり)】
都ゆく汽車のひと夜にこゝろくるしく、
いの寝もやらず不浄のほとりこゝろくるしく
あけがたは日あらはれず
東の窓に不二の見えねば
いよいよにこゝろくるしく。
都にしあれば街きよからず、
櫻花、かぜにまみれて、そも何のあらし。
ひと語りはぎれよくして
ひと心 むねにそぐはね。
都住む 今日ぞ三日の日
宿ゆけば窓の外の面に樹一つ
あはれ春にして、若葉來らず、
春にして、鳥の啼きもとまらず、
わがこゝろ、ようように僞瞞を知る。

【春】
おじぎをする春は人のやうだ。
天と地と、
つばめは低くとびかひ
野鳩は高枝より下りて、地をあさる、
白藤はまだ若く、
草に垂れてほゝえめば
人を思はせるに、今充分な春だ。
いま、じふぶんな春だ。

【梧桐】
梧桐の葉が出た
薄汚ない場末の町
炭屋の裏庭に、その葉がのぞいた
梧桐の木が此處にあるとだから知つた
あゝ寂しい梧桐の葉だ。
梧桐の葉はひろがつた
ずんずんとのびて
庭を一ぱいに抱きよせた。
やがてその上に紫色の花が出た
あゝ寂しいその花だ。
紫色の花は
雨を呼んだ。
雨が來た
長い間降り續く五月雨が
あゝ寂しい葉だ
その花だ
またあれだ。