竹村浩(たけむらひろし)1901〜1925
長野県下伊那郡生まれ。貧農の家に育ち小学校卒業後、職を転々としながら1920年から「信濃時事新聞」の小説募集で三年連続一位に入選。1924年、「抒情詩」の同人となり伊那詩話会を創立した。ダダイズムの影響を受け、詩集『高原を行く』で’私は実に苦惨に埋もれた享楽主義者である/生活の倦怠と蹂躙に身を任せ/心の破窓から遠く憧れを忘れない/私は剣と聖書を提げた革命家である/世紀と人生への反逆者である’としてアナーキズムの運動に一時参加もするが その論理より心情への傾斜は信州の貧農や女工への哀感をテ-マとしても同情的センチメンタリズムを脱っすることはなかった。上京後、上尾久の泥沼で変死した。
『高原を行く 竹村浩詩集』竹村浩(抒情詩社/1925)
『狂える太陽』竹村浩(1925)
『竹村浩全集』竹村浩(竹村浩遺稿出版會/1926)
【狂兒と女性】
(一、血で描いた出發の圖)
私は腐蝕した鐵の齒車
がりがり人生を噛み
青赤の錆水の中に苦悩して
亂髪を掻き毟りながら居るのだ
私は吃音の怪獸
虚無の泥濘の中に
痩せて骨張つた裸身をころがし
赤肌にガラスの破片を一ぱいたててゐるのだ
私は人間の呪詛によつて生れたもの
人間を呪ひ社會を呪ひ
「温良」な神と戦ひつつあるのだ
父は酒毒に腐敗した紫色の血を 泥のやうに
ヒーズの影に顫へてゐる處女の母の柔肌へ吐きかけた
その暴虐と悔恨によつて生れたのが私だ
敗殘の黒旗がなびいてゐる
工場裏の溝の中に生ひ立つたぼうふら
父と母とは其処へぼろに包んだまま捨てて去つた
空には赤い柿の實が淫蕩な鴉に肌を任せ
地には憂鬱な蟲螻(むしけら)が交尾の臭を吐いてゐる
生温い疾風は世紀の惡臭高い工場を包んでゐる
狂兒
私はやがて地上の植物性臭をたよりに
人生の途上によろめく日が来た
三層樓の沈華な飾窓にはロダンの豊麗な女性が覗いてゐた
板橋の暗い上にはゴツホの病質な美人が凄艶に佇んでゐた
雲雀鳴くあの緑の郊外に行けばミレーの優しい婦人が口を開けて眠つてゐた
私はよろめいて行き過ぎた
ああ そこの地下室の暗い扉の中には
女の陶酔にみちた泣聲がもれてくるのではないか
失神した男が女の花恥しい頬を食べてゐるではないか
狂兒!
日は土に上り土に落ちて行く
ああ 夜が來たよ
それは黒い苦悩の幕が下りたのだ
眠つてゐると
過去の國の追憶もざんげも拓けてくるのだ
しかし人間は歩まねばならない
夜の巣の中をさまよふのだ
全身は血まみれ あえぎながら。
【道德家】
私が五十日もそこらへ顔を見せないと
死んだと思ふさうである
それはまだ私の人間を知らない友の間ではあるが
もろこしでも焼いて東京の話をしやべつてゐる連中には
私といふ棒切のやうな人間がたまらなく不愉快ならしい
私は平氣でころがつてゐる
私は才子の間に口をきくことが出來ない性分で
おまけにあの鳥のやうな聲の出る話といふものが嫌だ
だから私は秋になるともう濁つた頭をよろこんで
一人きりに家にころがつてゐる
私はよく妙な人間に思はれることがある
私は平凡な道德家に志してゐるのであつて
色色な動物園に散歩する年頃でもない。
【鈍な娘】
哀しい程正直で鈍な娘が好きになつた
ひそかに私を愛してゐたのであつたが
私が木のやうなので外の男を愛するやうになつた
この頃 私はその娘が好きになつて
その娘と話す時間をたのしんでゐる
あの頃は私も若氣のいたりでいかもの喰ひで
木のてつぺんで柿を落してゐる娘が好きになつたりして
どこか異質のある女がほしかつた
夏の晩方 ねずみさしの木の蚊やりのかげで
書きものに疲れて立つてゐる私のそばで
胡瓜の皮をむきながら――その手は手甲布あてた跡が白く目立つた――
赤くちぢこまりながら笑顔の花を咲かしたのだが
秋になると 腹が空いてそれでも何もせず
家の中にごろごろしてゐる私に
はづかしい焼米の袋を帯の間から出してくれたのだが
その頃は 月夜になつた野良歸りを
鈴蟲のやうに唄つて行く娘の心を知りながら
私は一度も家から滑り出なかつた
いつも私が窓から月を眺めるのは
おまへが寝巻になつて講談雑誌を讀む頃だつたらう
平凡で正直な日本娘
私は おまへと結婚する男が羨しくなつた
男も善良で正直なお店者である。
【岡谷景物】
お伽噺のないステーションの薄暮
繭の國にころがる繭の話
黒い煤煙 黒い音響
文明の濤が染める工場の窓窓
五月の日 病み呆けて國へ歸る女工があつた
女工さん
辛抱をしよ
今に 蝋燭のやうに青ざめて
おまへのいのちが燃えてしまふのだから
女工さん
金がほしければ死ぬまでおつとめ
いのちがほしければ郷里へおかへり
人間の生命といふものは
あの林檎のやうなもので早く喰べないと腐つてしまふけれど おまへさん
郷里へ歸つたがさいご親も兄弟も飢ゑ死ぬんだつて
初夏が來て
靜かな青山が諏訪の國を眠らせ
湖の銀鱗も 煤煙で棚引き
赤いおてんとうさまがくるひまはる 落日
落日を見て 病み呆けて國へ歸る女工があつた。