瀧川富士夫

瀧川富士夫(たきがわふじお)1908〜1934
高知市生まれ。本名富士。1929年、今井嘉澄の創刊した「聖草」を今井の上京を機に引き継ぐ。1930年、今井、川田和泉と三人の発起人で「土佐詩人連盟」を結成。1933年、詩集『夜道』を発行。扉字高村光太郎、序文が岡本弥太で飾られている。同年「土佐詩人選集」を岡本弥太と編集発行。「榕樹林」「オリオン」「あかつき」「日本詩壇」などで活躍。岡本弥太を尊敬した。1934年5月 腹膜炎で死去。

『夜道』瀧川富士夫(聖草詩社/1933)

【序詩】
幹を肥やせ
ザボン
いろづきて
おのれの重量に倒れるな

【夜の雲】
灯りとぼして
誰か人でもゐるような
山脈(やま)の上
しづかに流れる夜の白雲(くも)

【母の詩】
山をへだてて
遠き未明の空のほの明るみを
冷い夜更の床に信じつつ
わづかに遺る木の葉のいちまい一枚を
風雨の中から拾つてきては
母は
子らの寝床を暖める
朽ちはてた爪跡に沈んでゐる
その母のおとろえはどこからくるのか
とぼしくなつた痩骨に燐々と尚も焔を焚せて
只一筋に生きようと願ふ母
絶えまなく吹き荒さぶ風雪
吹雪はそのまま霜となり
清らかに母の頭上に耀いてゐる

【梅雨】
   一
濡れた空氣が
部屋いつぱいにひろごつてゐる
暮れて間もない夜だのに
お通夜のようなこの靜けさ
誰も來ないので
  二
枯れた立木の梢に
雀が一羽うづくまつてゐる

【孤獨】
裏庭
背のびした松の新芽に
鋭いいたみを感じてゐる

【錯覺】
塀の並んだ屋敷町の盛上つた道路で
そのひとは
とても大きく見えました
堀端にでて芝山の邊りで近づくと
さつき見たひとより
ずつと小さく見えました

【祈祷】
白銀の氷河をしいて
空遙く
月の光はこの窓にうつらない
いつか
風の流も昏迷の地底に墜ちて
夜は蒼然と寂寞の冷氣の中に沈んでゐる
障子紙
脱はぐされた隙間から洩れる嗄れた咳
いちまいの敷布の上
今宵も黄ばんだ五體を横えて苦しむか母よ
冷酷な風雪の底に焚す恩愛の焔
子らのむなしい願望(ねがい)の下で
干物のやうに老いしなびてしまつたあなたの咳
空の蒼さに
陽の明朗なゆりかごに抱かれて
わたしらこんなに大きく成長した
だのに
あなたの上に咲かせた花はひとときの微笑すら與えやうとはしない
遠い昔のままに傾いた壁
暗澹と
この陋屋の燈火に翳るあなたの身のおとろえ
母よ
たとい枕邊の藥は乏しくとも
あなたに捧げるひと瓶の牛乳にこと缺ぐとも
子は祈つてゐる
蹌踉と深みゆく夜をこめてあなたの子は祈つてゐる

【秋日】
風の劇しき日なり
障子をとざし机に向へど
雲の如く
吾が五體を劇しく風の流るる日なり

【枯松】
雨に折れ
風にゆがみ
痩身に今は虚しく緑松の錆さえつけて
曇天
枯松(まつ)は闇雲の下でもう動こうとはしない

【晩秋】
鶏が五六羽
道端の乾いた地面をほつてゐる
子供が一人
大根の葉をさげて路地から出て來た
跛であつた
くづれかかつた板塀に
陽が少しづつ傾いてゐつた

【戀愛】
憎むことのできないのは苦しい
だが
愛することのできないのは更に苦しいことだ

【深夜】
深夜
吾がこころを踏みて去りゆくものあり
何物の影なるか
この日頃
鬱々とわれ眠むられぬ幾夜(よさ)かおくるなり

【松林に來て】
  Ⅰ
風の劇しき日なり
松林歩みて
われ
ちさき一莖のたをれし草花を見たり
年月の風雨に歪みて歳經たる松の根方に
  Ⅱ
秋晴れの好き日なるに
けふの風なかなかに劇しく
松林に
われ高き浪の音をききて遊べり
  Ⅲ
松林歩めば
こころはほのかに
松林歩みて
  Ⅳ
松林歩めば
われ いつか松林をぬけて草深き墓場にいでたり
墓石に腰を下して
只蒼きひといろの空みつむなり

【虫益(ゆむし)】
  Ⅰ
砂礫に埋る一塊の赫土
安頁浮陀の懿戒
  Ⅱ
敷闇の阿僧祇
くるり
反轉して瞼を閉ぢる
  Ⅲ
砂の中
砂を噛み
砂の中

【夜道】
月があるので
道はほんのり明るかつた
時々吹いてくる涼しい風が
河端の雑草を鳴らしてゐる
雨戸を降ろした低い家並にそうて
所々 くづれた杉垣があつて
そこから遠い街の灯がちらばつて見えたりした
袂の中には
土産に貰つた卵がころがつてゐる
僕達はめいめい默つたまま
薄闇の部屋での和やかな團欒を思いながら歩いてゐた

【龜】
笑ふ奴には笑はせろ
世間の思惑なんか考えてゐられるか
抜け出した跡でどうなろうと構わぬ
骨が碎けてもいい
俺は甲羅をはづすのだ

【願望】
多くを知りたいとは思はぬ
只 雀の言葉だけでも理解したい