鈴木伸治(すずきしんじ)1912〜1940
岩手県に生まれる。本名稲夫。1927年、黄海小学校高等科を卒業。1936年に出郷するまで黄海村にあって農業に従事しながら詩を発表し続ける。1930年11月、秘密結社岩手共人会の摘発始まる。(所謂共人会事件)。伸治は14日に検挙された。1936年、黄海村を出て胆沢郡の診療所に住み込む。翌年上京。早稲田工手学校建築科(夜間)に入学。1938年6月頃、内務省の臨時職員になる。11月頃、乾性肋膜炎に罹り入院する。1939年9月14日から24日にかけて喀血に伴う詩を多作する。1940年4月30日死去。
『黄海村 鈴木伸治詩集』鈴木伸治(三芸書房/1942)
【どじょうの詩】
雲が
冷く
光って
去れば
ひとり
落穂に
寄添ふ
もの
どじょうよ
時雨れて
落葉して
この
十日の
黄に
曝れた
けしきを
暮れへ
運ぶ
もの
どじょうよ
時雨れて
落葉して
落穂に
ひとり
寄添ふ
もの
【みづすまし】
きらきら ひかる
せなかを
めいめいに もち
ときどき
どろの くらさ
かんじながら
みづすまし
いちにち
あかるい わを
ゑがいたり けしたり
してゐるか
【青竹】
破裂するほど
真っ青であることは
愉快なことだ
吹きつける雪には
真っ直ぐな
妥協を許さぬ
繊維でもって
対するがいい
灼きついて来る
日射の敵には
数知れぬ枝葉を
裸体のまんま
対させるがいい
凍りついた
土の中から秘密に抱いてきた
空洞には
凛冽の空気が
ぎっしりとつまった
【酌婦の詩】
稲刈したと
喜ぶ酌婦。
小路を
祭礼帰りの
ひとたちが通る。
硝子箱に
並べた駄菓子
大福餅
地酒と
十銭うどん。
向いの魚店。
どんより曇った
空の下
もつきりあふって
息を吐く
馬車ひき
転がったまゝ
団子をかぢる
隣の息子
剣を鳴らして
巡査が通る。
また戻って来る
けがれた暮しの
底の底から
稲刈りしたと
喜ぶ酌婦。
【日本へ与へる抒情】
霙の章
日本の姿よ
自由なほしいままなわれわれの姿よ
何処へいったらう。
島国育ちの
いぢけた性根をひらひらさせて
落葉のやうに散ったらうか。
われら耳かす
宇宙の心搏動よ
活火山よ
われらは何処へゆくのだらう。
候鳥回帰の温帯に
桜をほのかに
咲かせたらうか。
そのセロファンの風景に
ちぢれ羊の雲をとばし
われらあがめる神々よ。
すべてが亡ぶ冬のさなか
祖先はいたづらな
骨と化したらうか。
空が青から
乳色にかはるとき
あゝ 白雪よ
温血の動物よ
北へ南へ流転して
国土にあつい
火の灰を降らさう。
西へ東へゆききして
きらり刃の
霙を降らさう。
【日本聯島】
私の血を
祖先が流れる
幾千年の
土地が流れる。