鈴木泰治

鈴木泰治(すずきたいじ)1912〜1938
山形県西田川郡上郷村(現鶴岡市)生まれ。1939年、母玉惠産褥熱のため死亡。1946年、藤村操の話を聞き「人生不可解」について考える。1948年、教室で『パンセ』を読み、教師に’このような本はまだ早い’と叱られる。1949年、キリスト教講演会に出席感激し、キリスト教への回心を告白する。1950年10月、糖尿病のため入院。退院したが翌年1月に再発し休学。4月3日永眠。

『プロレタリア詩人 鈴木泰治 作品と生涯 』尾西 康充・岡村 洋子編(和泉書院/2002)

【飼葉】
山脈から這ひ下りる霧のなかに
定期自動車の初発が警笛をひゞかせる頃
子供らは大きな桑籠を背中に転ばせ
鎌を片手にうち振り、うち振り坂の街道を上つて行く
路傍に籠をならべ
ベツと掌に唾きして土堤へ降りると
草履の下から小さい生物が飛び散る
子供らはおとなの様に黙りこみ、脇眼もふらず草を刈り
葉ずれに頬を真赤に膨らませ
一抱へになるとよちよち土堤を上る
身体一杯に朝日を受け
身体一杯に露の玉を光らせ
すゝきやどくだみを擇り出して踏みにぢり
犬蔘の紅い花をパンツの紐にはさみ……
何度も土堤を降りて行く
籠が一杯になれば
めいめいが草を踏めつけて嵩を減らし
積め込めるだけ押し込み
重みをつけるために小川に籠ぐるみ漬け
水のたれる奴を背中にして街道を並んで行く
うたをうたひ、小石を蹴り
土橋渡つて街道から村に入ると
牧場の槙垣がみえ出すのだ
子供たちの仕事がここで支払はれる
一貫一銭五厘!
一本きりの地獄葉めつけてふり廻し
まけろ、まけろと叫ぶ牧場のおやぢ
彼等のつぶらな瞳から赤とんぼや空の青が消える
秤の目盛をにらむ彼等の瞳は
くらしを担ふ協働者
おやぢやお阿母とともに腕ほどな脛をならべ
くらしの車を押す者の
ぎしぎしした意慾に満ち
小鷹の様に冴へるのだ
間もなく子供らは空籠を躍らせて出て来る
めいめいが考へる―
昼までに仕上げねばならぬ仕事、
昼すぎに掛からねばならぬ仕事、
残り少い夏休みと真白い課題帳。
槙垣に沿ひ歩いて行く子供ら。
揃つたりな貧農のせがれども
振り廻したりな手に手の鎌
その労苦の道で
金輪際離さぬおれたちの腕をにぎれ

【工場葬】
お阿母は悲しみにくれてゐたが
思ひ出した様に喜びの顔をあげてわたしに話す
手には二葉の写真、前には遺骨の小箱
線香のけむりが彼女の咳に揺れるのだ
オミヨはいま死んではならぬ。
一番気の弱かつたオミヨ
他人のかほを正面からみて
言ひたいことを言へる様にと
それだけを念じたオミヨが
三年の女工生活、そのかけがえのない春の
犠牲のうちに
差し合ひで寝る煎餅蒲団の様に
胸にしこりを拵へた
死んではならぬオミヨが死んだ
そのしこりをほぐす暇もなく、遠いメリヤス工場の寄宿で……。
お阿母の招待された工場葬の写真がここにある
そのおびたゞしい花輪と供物の山が
導師のかざす大きな日傘とそれに続く多くの僧侶が
死して見直された朋友の価値、この豪壮な工場葬に眼を見張る葬列の男女工の群集が
お阿母の悲しみに水を注すのをわたしはみてる
―これは未曽有のことにて候 これ一重に…
…お阿母の胸からのぞいてゐる封筒、中味は三度も読まされた
―未曽有 とはどんなことかと幾度も訊ぬる
お阿母
わたしは答へる言葉がないのだ
毒茸みたいな導師の日傘と、松露の様にならんだ僧侶の頭数
まこと未曽のいたましい報酬、…人者の催す壮厳な葬儀
わたしを衝く悲しみと憤り―
そのわたしの顔を香烟が這ひ上るのだ
わたしはその向ふに、お阿母が
悲しみの底から痴者みたいな喜悦をねらねら現し
ぢつと写真をみつめてゐるのを見る
二葉の写真は位牌の横に置かれるであらう
彼女のたるんだ鼓膜に
潮さひの様な読経が残るであらう

【無題】
わたしが先刻からみつめてゐると
ああ、またこの紳士はげつぷをする
何といふ美しいげつぷであらう
紳士は眼を閉ぢながら
こんなに満腹してゐると言はぬばかりに
ながながとげつぷをした
胸にかゝつた金鎖が微に動くのを見ながら
饑じさにきやきや痛む胃の腑をいたはつてゐる
すると、また―
こんどは胃袋のはち切れさうなのを
みせびらかして横隔膜にこつんと当てたのか
げぷつと生温いのをわたしにあびせた
ぢつと腕を組んでみつめてゐる
可愛さうな胃の腑を胸廓の下にソツとかき抱いてやる
胃液が皮膚にしみ出しはしないかと
まじめにからだをまさぐるのだ
こいつの腹の中には臓品の厨がある
それを知りながら
空つぽの胃袋が吸盤みたいにあへぎ
みつめてゐる。
渾身で心にむちうつてゐる。
かほをそむけずに紳士の胸をにらんでゐる。
力のかぎり胃袋を抱きしめてゐるのだ。

【魚群】
大謀網に気付いたのは夜になつてからである。
それまでひろびろと張られた網の目に戯れつい
たり、絲にかかつて揺れる藻をつついたりした
彼等であつたが、そいつが陸へ陸へ狹ばめられ
手操られてゐるのを知つた時、みなは一瞬ハツ
と蒼ざめ、つぎに日頃の群游の習性を蹴飛ばしてしまつた。
海と獲物を区切つた網のなか、のがれ出ようと
する魚たちのおのれこそ逃げ終はせんと喰はす
必死の体当りも無駄であつた。
飛走するひき、無数の流星が蒼闇の海に火花を
ちらし、網に当つて砕けた。ここで再び蒼白の
尾を引いて疾走し直す奴もゐた。鰓深々絲を喰
ひ込ませて血みどろにあがきくねるのもゐた。
ぶつかり合つた魚と魚は燐火の中で歯を剥いた
動くともなく動く網綱。せばまるともなくせば
まる境界。魚たちはぎらぎら飛び跳ねたが、
やがて濱辺のかゞりが見え、砂をこする網底の
音が陸の喚声に混ぢるとき、捨身の激突に口吻
は赤黝くはれ上り、眼玉に血がにじみ、脱け落
ちる鱗は微に燃えてひらひら海底へ沈んでゆくのである。
 
【或る日に】
おれは鼻をうつた。
(ここまで行きつくだらうと思つてゐたのだ)
あらためて設計し直さねばならぬ。
それにしてもおかしいではないか。
いま、おれの前には虚脱への道しか残つてゐないとは。
おれのほそぼそした良心が、
おれのすなほだと自負する心情が、
おれを伴つて行くのが虚脱の世界よりないとは。
けふ。村には飛行機が絶え間なく翳をおとす。
翳は稲田を這ひ、屋根を蔽ひ、丘陵を跨ぐのだ。
すると家々からカーキ色の人々が出て行く。
むなしい空気がおれを取り巻く。
サイレンや汽笛の喚きたてるなかをやつと好きになれさうな故郷がおれから離れてゆくのだ。
演習本部の造り酒屋へ這入つて行くと、一瞬みながひつそりする。
はげしい…意がおれをとりかこむのだ。
仕様ことなしにニタニタ笑ふ。これでは取りつく島がない。
これだけそらぞらしい距離が出来てはおれの手足はかなしむばかりだ。仰向けに空をつかむ亀だ。
叫べば叫ぶほどおれの前の真空層は厚くなる。
声がかすれ、ひとりきりのおれは気違ひぢみるだけだ。
これを突き抜ける決意がいまのおれにあるか。
黙つてニタニタ笑ひ、ふんと鼻で侮蔑する。
全島を蔽つてしまつた翳におびえてゐる。
気合ひ負けしたおれ。
音たてて落ちた情熱。恐るべき干潮。
こいつを強引にひきずらうとするとおれは虚脱の一歩手前に来てゐるのだ。
月のなかをおれは帰つた。ねむられぬ。
庭先の楓に抱きつき、そのまま屋根に攀じのぼつた。
立上ると造り酒屋の小砂利の庭か見える。
伝令の自転車がやせた影を引く。
がやがや話し声が風に乗る。
そこに腰おろし、おれは思つた。
折角逃げ帰つた故郷ではあるがおれはまた出なければならぬ。
故郷はおれに興味をもちすぎる。
白い歯を剥き、尻を叩く。
いらだつ良心のつれて行く意味のない虚脱からおれ自身を救はねばならぬ。
そのために、おれは故郷を棄てる。
おれを知らぬ都会で腰を据へて出口を考へようと決意した。  

【山に在る田で】
一日、二日、三日。
あらあらしく掘りかへされ、みづみづしい黒さの土の上、
ひと田づつ下へ下へ送られて行く水。
上の田から落ちる水が、なかば水の漬いた田の片隅で濁つた小さい渦を巻き。
草の葉をまはしながら一日中踊つてゐる。
(もつと澄ませられぬものか)
眼の下の泥水を見てゐるとぢりぢりして来るわたし。
飛んで行き怒鳴りつけて澄ませたいわたし。
底の底までさらけ出し、それから頭を立て直したいわたし。
殴りつけてもはらしたいこの曇り。
さて、一段づゝのぼるわたしの前、
低い田ではもやもや濁つた水がここではもう淸澄への意志をみせ、
高みの田はこんなにさやさやさしてゐるのだ。
これが水元なのか、山際の泉。
芹が美しく生え揃ひ、目高浮かべ。
(あせるまい)
待つか。下まで澄み通るまで。

【曇天】
曇天の朝である。
厠に立つ。
把手が手あかでぬめぬめしてゐるので、
ここに来る度びに顔を顰める。
高台から廻りくねつた道を下りる。
わたしらの住居が其処の片隅にある。
ずらりと並んだ表札、散らばつた履物。
この一軒に三つの世帯がある。
(うす暗い生活のよどみ)
トランク一つひつさげ、
わたしの此処に来たのも曇天の朝であつた。
低い空と暗い大地、
その間で都会は騒ぎ立つてゐた。
わたしは雑誌の自分の名前だけ切り抜き、
肉親の名刺の裏に貼りつけ、
ならんだ表札の隣へピンで止めた。
(わたしの東京の生活のはじまり)
新しい生活。
わたしは此処で絶望を噛みしめる。
絶望することの無意味さを納得するために。
一つ一つ、
わたしに残されてある退路を断つために。
所詮、わたし、受身な男は
逃げられるだけ逃げて、
逃げ路のないことをはつきり自分に知らせるより他術がないのだ。
ぢつとしてゐると、
物を洗ふ音が遠い省線の軋りのなかに溶け、
物々しい騒しさがわたしをつつむ朝である。
(わたしは絶望することまで思ひ切りはしない)
(わたしの絶望には目的があるのだ)
それにしても、厠で考へ込んでゐるわたしの、脚のしびれ!

【自然の玩具について】
田に水が入ると村がひろくなる
蛙どもが鳴いて、鳴いて水に融ける日
畦道では、
子供たちが蛙の尻にムギワラ突き差し、
風船の様にふくらませ
口から臓腑吐出すのをニタリニタリ笑つてゐる
向ふでは一かたまりの子供にかこまれ
花火咥えた蛙が空にらんでゐる
やがてこのローソクの花火が破裂すると
口は裂けて跳ね飛ばされる
こいつらの触角にかかつては敵はぬ
自然の中で玩具探しまはり
草の実、木の葉、昆虫、お構ひなしだ
街の子供が汽関車のゼンマイ捲くうちに
こいつらはカブトムシ噛み合はせたり
小蟹の鋏もいだりするのだ
女の子に蛇投げてへらへら笑ふのもこいつらなら
ドングリに笹竹突きさして独楽にするのもこいつだ。
野を駆け、山にのぼり
それでもまだ満足せぬこいつらは
その柔い触角を地面に突き入れる
蟻地獄ほじくる、
ケラを拾ひ出す、
ミミズを蟻の穴に供える
子供たちの前、
自然は何といふ完備した玩具のデパートであらう
ここで子供らは物を自分のためにつくることを覚える
自分のために探しに行くのを習慣づけられる
街の子供がサイダーの王冠で勲章つける様に
田舎の子供は粘り気ある八重葎のみどりの車輪を胸につける
どの山畑にどんな果樹があるか、
どの崖にいたどりが群生してゐるか、
青梅、杏、無花果、蜜柑……
それらについて
いつ花が咲き、いつ受精したかは忘れても
豊かなみのりの時期は時計ほど正確に知つてゐるのだ
まるで、
役場の戸籍吏が村の誰れ彼について知つてゐる様に、
学校の先生が同じイガグリ頭を見分けるほど
この小さい植物の戸籍係はススキ属の植物の根を掘る
細い根節から何と甘い汁が歯にしみることか!
わたしの名も知らぬ灌木の葉は何と酸つぱいことか!
朝露に濡れた路傍の紫の聚花は何と甘いか!
槙垣の下で子供が何やら話し合つてゐる
わたしが近づくと
―おぢさん、これ と小さい実差出すのだ
槙の実を君は知つてゐるか、
ゼリーみたいにぬめぬめ舌に乗る、
淫蕩な年増女の後味に似たものうい甘さ
子供と一緒にわたしもむさぼり食ふのだ
わたしは驚嘆してゐるのだ
子供らはここで何と積極的に生きてゐるのであらう
何と執拗に自然の体内へ遊び相手見つけに出掛け
何と全身で自然にぶつかつて行くのであらう
まるで新鮮な果実を樹からもぎ取る様に
自然の懐から玩具を盗み取つて来るのだ
崖ぎわの赤い椿よ、いたどりよ、
針につつまれるからたちの実よ、
野茨に護られる名も知らぬ花々よ、
子供らは君らを愛するので
危険の故に君らの美しさをのがしはしないのだ
ああ、すべて呼吸づく自然
脛に血をにじませて自然から奪ふことの喜び
魅力ある日毎の営み、
美しい生活よ。