桜間中庸(さくらまちゅうよう)1911〜1934
岡山県和気郡生まれ。1931年、上京し第二早稲田高等学院に入学。専ら児童文学に意を注ぐ。【すかんぽ原】等は在来趣味のものとして弄ばれた児童文学を、より芸術の香気高きものに育てあげた。1933年、早稲田大学に進み英文学を専攻。『日光浴室』はこの頃の作にして童謡詩壇に一つのエポックを與えた。不幸にも、それが最後のものとなった。1934年、郷里にあって病にかかり、5月6日永眠。
『日光浴室 櫻間中庸遺稿集』櫻間中庸(ボン書店/1936)
【すかんぽ原】
すかんぽ原は
夕やけしてた
赤ん坊おぶつて
探していつた
すかんぽ原は
つくしのにほひ
どこかで子供の
うたごゑしてた
すかんぽ原は
トンネルつづき
こもつたおとで
汽笛がしてた
【蝙蝠】
ひつそり
蝙蝠を待つてた
草の葉は
夜露にぬれてた
そつと高く
投げた草履
蝙蝠が
落ちたやうだぞ
まがきの向の
細い音
まがきを
つんとのぞいたら
酸つぱい
花の香が泌みた
【日光浴室】
日光浴室(さんるうむ)
蔦がここまでのびました
らるらる光がもつれます
日光浴室
鳩が影してとびました
ガラスの外のあをい空
日光浴室
母さん毛糸をほぐします
冬が近くにきてませう
日光浴室
ぼくはベッドで手をのばす
おひるのドンがなりました
日光浴室
いちにち白いお部屋です
いちにち白いお部屋です
【石碑】
あをい木 あをい草
思ひ出をひめて
石碑は靜もりて立てり
かなしみも よろこびも
みなながら ふくめて
石碑はさびれて立てり
たそがるれば
思ひ出はわがむねにかへり
石碑は夕日に更生れり
【散髪屋の夜】
さんぱつやの 窓の月は
くさい髪の にほひがする
みゝずが 細々と泪のの音をたてゝゐる
そんなに月がかなしいのかい
痩せきつた 俺のからだに
夏が 夏が
しんみりと重たい
【天體現象】
月に迫る金星――
月に迫る金星――
瞬間――
雲はカーテンをおろす――
あゝ――
雲はカーテンをひく――
金星は月をはなれてゐる――
金星は月をはなれてゐる――
【無題】
ペーブメントからアスファルトへ
アスファルトからペーブメントへ
風が新聞紙を運ぶのか
新聞紙が風を運ぶのか
風と新聞紙はほいと
柳の若い葉の下をぬけて
お堀にすべりこんだ
【無題】
女は ライラツクのにほひを好むと
ストローはメロンソーダ水を吸ひあげる
私は女のにほひを吸ひあげる
【無題】
花園から月かげが
帳をほのかな紫にけぶらせて
マダムの室を訪れるとき
絢爛な装釘を衣た私の詩集は
その腕の中で
指輪の役をするだらう
詩集から私は生れ出る
花園を月影にくたくたにぬれながらタキシードの詩人は
マダムの幻想にそつと近づく
詩集は私が生んだもの
私は詩集から生れる
【無題】
金魚は青空を食べてふくらみ
鉢の中で動かなくなる
鳩だか 鉢のガラスにうすい影を走らせる
來たのは花辨(はなびら)か 白い雲の斷片(かけら)
【無題】
鏡に顎をつき出して
ぱんぱん ぱんぱん
浴槽にひとり浸って
女湯からひゞいてくる脊流の音を
聞いてゐる
【冬至】
あをいタイルの浴槽にひたつてゐる。
外は武藏野の風であらうにこの落ちついた心はふるさとを思つてゐる。
ぷち――ぷち
ゆぶねのあちこちに月のやうに浮んでゐる橙の實をそつと下から押へる。
両手の指で押へると種子はあわてゝはねる。いゝ音だ。
冬至。ふるさとも風であらう。
ぷちつとはねた種子は私の額ではずんで湯に逃げた。
私は笑ひたくなつた。
顔をあげると高いガラス窓の外はもう紫のビロウドをひろげ細い月が劇
のセツテングのやうにぶら下つてゐる。
【夢】
美しい夢を見た。
清流にかゝつた白い橋の上に私は妹たちと居た。さゞれ石の上をチロチ
ロと流れて行く碧玉の水。私は嵐山かどこかの繪葉書を想つてゐた。
美しい夢であつた。山路にかゝつてゐた妹たちと兄と私。藤の房があつ
た。スヰートピーの花のやうな群がりであつた。私は妹のためにその
房を、こぼれる花を氣にしながら折つた。
私は健康である。
郷里に歸る日の近いせいであらう。かうした夢は兄や妹をめぐるこの嬉しさ。
【窓を開く】
これが12月の空であらうか。風は北極に流れて行つたらしい。
この空のあをさはどうだ。
みの虫みの虫。みの虫だと思つたのはアカシヤの實の莢であつた。
みの虫みの虫、風に吹かれてみのを着たまま飛んでつたとうたつた童謡
詩人を思ひ出す。
家の側の坂道を子供が三輪車を走らせてゐる。その妹が後から追かける。
二人ともただもうわけのわからない感興の聲を青空に投げつけながら。
私は久しぶりに落ちついてゐる。
新宿へ出かけよう。そして「燕」の特別急行券を買つて來よう。