沙良峰夫(さらみねお)1901〜1928
北海道に生まれる。本名梅沢孝一。1913年、北海道庁立札幌第一中学校に入学。1915年、この頃、文学書に親しみ、森鴎外、上田敏らを畏敬する。雑誌「雄辯」の懸賞論文に投稿、上位当選する。1916年、中学校を中退し上京する。正則英語学校、アテネ・フランセ等に学び、かたわら図書館に通う。1917年、この頃、川路柳虹に師事する。1919年、石川淳、島田謹二、安藤更生等の親交あり。西條八十に師事する。太平洋画会研究所に学ぶ。今東光、東郷青児、サトウハチローらとの交流あり。1921年、「婦人公論」に散文【青函連絡船にて】を発表。美校生の倉持絹枝を知る。深刻な恋愛問題に悩む。1922年、詩誌「白孔雀」(西条八十編輯)同人となる。1923年、「黄表紙」に小品発表。同人、芳賀檀、稲垣足穂、酒井真人らと。1925年、倉持絹枝逝く。雑誌「銀座」同人となる。1926年、「住宅」に【海のまぼろし】の原詩【北への叙情詩】発表。1927年、雑誌「クラク」に【海のまぼろし】発表。病気静養のため帰郷する。1928年2月上京。3月発病。膵臓壊疽病と診断され 5月12日長逝。
『華やかなる憂鬱 ―沙良峰夫詩集』沙良峰夫(沙良峰夫をしのぶ会/1967)
【海のまぼろし】
冬の海こえて
女が去つた、
枯れた花の匂をのこして。
白い霧の中へ
船はかくれて行つた
さびしい小鳥のやうに。
仄暗い沖のかなた、
とほい北の冷たい夢の
なんて目に沁みることだ、
涙もなくて一人ゆく
小さいうしろ姿よ、
はかない雪の上の足跡よ、
それもやがて消えうせる。
死んだより哀しい女、
思へば海の上に己の心に
ああ雪が降る 雪がふる。
【秋】
向日葵のやうだつた
わが女よ。
そなたの頬はあをざめて冷たい。
われらの季節は過ぎたと、
そなた吐息するのか、―――
否々、をんなよ。
只、夏の野にとりあつめた
紀念の草花たちの、
彩も失せ、香も儚く、
壁にかけた柳の枝の籠のうちで
枯れてしまつたのが、
それが、あ、哀しいのさ。
いま二人の上には高い秋の空、
燕のむれが
遠い白い雲のなかに 消えてゆく。
はろばろとさわやかな微風……………
疲れにおもい瞼を、が
あげてごらん。
静かな白光が烟つてゐる
地平のかなたの広い国……………
かしこで夢みないか、わが女よ。
【雪】
雪、ゆき、
ふるとしのわが廃苑につもつた雪よ。
死んだ白鳥。
眠つた白孔雀。
(冬の日よ、その上の経帷子をおとりでない。)
萎れた水仙。
色褪せた薔薇。
(冬の風よ、その上の沈黙をおちらしでない。)
病んだ少女の胸。
祈祷する尼僧の額。
(冬の月よ、かれらの魂をやさしくお抱き。)
昔の恋人の柩。
儚い思ひ出の幻。
(冬の女よ、わたしの悲みをそつとお抱き。)
雪、ゆき、
ふるとしのわが廃苑につもつた雪よ。
【初秋の夜】
フアイアプレース(暖炉)はまだ燃えない。
夜は段々長くなつてゆく。
独乙風な彫刻のついているマントルピースの蔭で
松虫がしみ入る様に秋を呼んでゐる。
舶載の佳品と覚ゆる猛虎の皮が、生ける日の如く
室一ぱいに占領してゐる、人が居なくも何となく
人の気はひのする室、外は多分星の多い夜だろう。
【無題】
皮膚の面が海のやうに平らになつて
静かな曇り日を呼吸する。
玻璃戸の向ふには秋が落ちてゐる。
カーテンの蔭のみそかごと。
劇場は未だ始まらない
真白な短艇クラブの蔭に落ちてゐた
セルロイドのバクダン
ぼくはこんな秋が好きだ
【食後の休息】
食後に気をかへるために別室で
お茶を戴くことはよいことでせう。
其処には稍々(やや)自由な、だが乱れない程度の
放恣がなければならない。
床に投げ出されたクツシヨンの上の
ピエロオの嘆き
チヨコナンとテイテーブルの柵に
腰かけた音楽師も思ふは、
来し方か行く末か
さて一番高いところのマノン様
懐かしい巴里の街は遠けれど―――
お気附け遊ばせ、
姫御前の澎らみ切つたお袴が
薄い紅茶によごれますわい。
【無題】
冬の日の暮方、こみあつた電車の隅で
ちぢこまつてゐる小さい女、灰色の娘
お勤めのかへりですね。
肩掛もない手袋もない。よごれのみえた着物の中に
艶もない紅みもない皮膚がさむがつてゐる。
若さは――でもある。
そつと上げるとおどおどした眼の奥に。
あなたの住居はどんなだろう。
いや私には分つてゐる、家の中もよく見える、
勝手で夕餐の支度をするあなたが、
破れた障子の穴からのぞかれる。
指環を一つ、だまつて贈つてあげよう、
石はつつましい幽しい色のムウンストオン。
誰も知らぬ私がはじめてする楽しい善事だ。
あの女、あの女、あの女、
若くつて美しくつて素晴しいからだ、だがだらしのない
ヴアアムパイア、あの女、、、、、、、
ね、私はあなたが好きになれそうだ、
小さい灰色の娘さん、むすめさん。
【人に】
余の心身は疲れはてた。
軽き散策の気力さえ失はれた。
要するに その ――
少女らは薄情で
若者はいやらしきなり。
歓楽は俗悪で
青春は味好からざるなり。
Boulevord del Ginza
そのかげの小さき旗亭に
友よ、我を待ちて
昼の酒によひつゝあるというか。
だが、けふ一日は宥せ、
静かなる冬の午さがり
余は臥床して旅行記を嗜読しつゝ
想ひは幽渺だ
ねえ、願はくば君独りして飲め、
もはやかの
あえかなるお咲さんも在らざらむ。
千闡、燉煌
古き代のPhantasmagoria―――
ホトケ様の首をいじつて
邪心なき痴人の夢にふけらしめよ。
【北への叙情詩】
冬の海をこえて
女が去つた、北の方へ
己は別れてきて
南の春にゐて思ひ出す
暗い海にかくれて行つた。
寂しい船のうしろ姿を。
氷の国に残してゆく
女の足跡を、小さく儚い。
北へ、なほも北へ………………
南の春にゐても
己の心臓はかじかんでくる、
女をおもへば―――――
あゝ雪が降る。雪が降る。
【詩】
人よ、この私を
そつとしといておくれ
私は桶のなかの灰水だ。
かうしてゐれば
あらゆる好ましいものが
うは澄みのおもてに
しづかに映つてゐる、
花や木の葉や小鳥や雲や………………
しかし一旦揺り動かされたら
事だ! 忽ちに底の灰が
おそろしく 湧く、濁る、渦巻く
それは眠らせてある、
思出だ、悔ひだ、悲みだ、怒りだ。
人よ、できるだけ、
この見窄らしい灰水桶を
そつとしといておくれ。