原理充雄(げんりみちお)1907〜1932
大阪市西淀川区に生まれる。本名は岡田政治郎であるが、書簡も原稿も署名は岡田政二郎で通している。1921年大阪郵便局に勤務。1923年 「星の匂ひ」「夕暮の慾情」「情緒をまさぐる」の詩3篇を「想苑」に発表。この年の10月「想苑10号」で竹内勝太郎が草野兄弟(民平・心平)の詩をほめたので原理は草野心平に詩集を注文。1924年、草野心平と梅田(大阪)で会い自宅に泊める。また竹内勝太郎に初めて手紙を書く。12月の勝太郎への二信で「思想上の一転機に際して名を原理充雄と改めました」と書く。1926年、原理宅を足場に草野心平が坂本遼の実家にも足を運んで滞在し「銅鑼」7号を発行した。1928年、古本屋を開く。そのせいかどうか8年間勤めた郵便局をクビになる。1931年、いわゆる“ビラマキ”で検挙される。翌年6月30日、1年以上の拘留による衰弱により釈放された直後に死去。
『西灘村の青春 原理充雄人と作品。』高橋夏男(風来舎/2006)
【星の匂ひ】 岡田政二郎
音もない夕暮
ほのうすらいだ窓にもたれて
もの静かな空を眺めてゐると
あたりに深く、限りない一切の
幽遠が充ちてゐる
冷い星の光りをあび
水の様によどんだ空気の中に
うつとりとして
自然のしたしみに心からふれてゐると
肉体(からだ)は悠々として
おゝなやましい星の匂ひがかほつてくる
【夕暮の慾情】 岡田政二郎
暗い尾を引いてかすかにふるへる
工場の汽笛のからみ
夕暮のあし音は
蒼白い顔をして考へにふける
私の耳にあつまる
ひるの疲れにほだされて
――闇の暗さが
窓の外一ぱいにたゝへてゐるのに――
神経は陰気な夕べの足音にきゝとれる
そしてうすらいだもやが
病的に似た空気を一様に呼吸してゐる
やがてはなやかにも
めまぐるしい色彩に憧れ
みにくい私の慾情が
暗い室の隅に
あやふげに 手をうごかせた
【情緒をまさぐる】 岡田政二郎
さらりとした葉がくれの間に
いとすゞやかなる九月が色づき
私の焦燥はくびれて
何とさびやかな涙ぐましい午後ではないか
陽はちらちらと照つたりかげつたりして
青いひゞきのする風の音は
より感情ぶかい幽かな空気を
吹き醒まさうとするのか
私はほんのりとした陽光に
風や空気の音いろをいそしみ
再びさみしい影にしたつて
品のよい情緒をまさぐらねばならない
【馬酔木の繁みに】 岡田政二郎
あゝはなよ はなよ
うつうつたる青黒い馬酔木のしげみに
ぬれ羽色の処女の髪の味覚にあくがれ
ふとも思ひ出づるしづかにも味気なく
別れし心よ
あゝゆるやかな空気の中に
かぐかまんだ心を明るくそめて
ひそかにも色褪せた
楚々としたおもひを呼び返へさうか
秋の日の午後、さみしく心にうつり映えた
ヤーニングなる愛恋(いとほしみ)よ
香んばしい匂を唇に注ぐ赤い風の音もないのか
(虚しく眼にうつるは、蒼めて首うなだれた過ぎし日の恋人)
悩ましい気流の中に
私は病欝に似た馬酔木の葉をちぎる
【星】 岡田政二郎
星はその深さを現し 私の心臓に針をつける
屋根に薄いかげを曳いて
私はその寂しさを知つてゐる
(ああ いく度星にわが情念を記したことか)
その煌きを求めては――
涙にかすんで見る時 星はうそ寒く眸にいたい
(私よその星に飛躍し
触れんことをこそ望め)
星はしぶいて限りがない
星は孤独を夢見ている
【遠心力な冬期】 原理充雄
街影ばかり歩くものに 空気は一面水びたしであつて
繊々した青眉はもう私のこころではない
――私の見るのは烏のおとす一筋の影々――
暮れ切つた樹々の褐色(かちいろ)な面に心を投げても
感覚はゴムの草履の様ににぶく朽ちて
(あゝすべてが冷笑のみみじい意欲だ)
今日私は 埃の中に手を上げる。
凍死した蛙の背のやうに、冷えびえと遠心力な冬期、
きけ! 利鎌(とがま)に似た月の気味悪(あ)しい音調(おと)を、
(おゝ今 空の舳に風をたたくのは誰だ)
【飯も凍てて】
こころやすき飯も凍てて 冷たい夜の指尖をきいた
この頃といふものは まるで色褪せた石のやうに
埃は今日もするどく 肌をいためたし
犬の影さへこほつて
動けばすぐ眼がいたんでしまふ
街角だけしか歩まないのに
いつも星のかゆさが身にこたえる
水にひそむ盲目魚(メナシウオ)のやうなさぶしさと
あゝ いく度暗い光線に誤解されたか知れやしない
(おもひはたとへ昨日の頁の中にあらうとも)
【日は斜ひに】
日は斜ひに落ちてゐて
(街はもう手に手にしつなはれた花をもつてゐるのに)
私はやつれた襯衣一まいに 貧しい頁をもちながら
かなしいものにぬれた気温に
風はぴんと空をさしてゐる
【焦心】
草のかげをぬすもうとして
いくら風脚にもつれてぶつ倒れてゐたとて
堪えられぬ慟哭に、こう息が圧しつぶされては
莨のからのやうにかわいて
巷にふかくすすり泣きがするよ
あの窄(せま)いあなたの肩も寒くなつた
(煙突は灰色にぬれて、白んだ月を中にしてゐる)
凍てた風はむなしく背に吹きよせるばかり
(迷景に気温のない鞭をあげろ)
あゝ 私も立たなくてはならぬ
【寒い点景】
交番の角まで巡査は風におはれてゐる
小僧はあはてて車をとめたが
肺をちめたくした
精悍なひとみがかすかであつた
可愛いい小僧よ 君には牙がない
こころをこめた祈りのやうに
陽がおちやうとして風に鳴つてゐる
【神経質に地球も老いて】
一日のおわりを、無言に星が屋根を刺してゐる
神経質に地球も老いて
疲れた雲断れに似た生涯を探し出したとき
(愛するものは実に遠い)
跫音のしない踵をつめて
もう月影がともり、広場の果てで風に吹かれる
【転機】
瞼はしぶれて腫れあがつてゐる
思ひあつめし小径を捨てた
(そこに素晴らしい予約があるぞ)
麻痺した洋燈に星が喰ひついたつて!
――一切月の呀えを待つんだよ
あきらかな単原色をたのしむために
(噫 あなたは土に背いてゐた)
【懐疑】
煙突がいく度も空を流すから
町のうらみちがふくれやうとするのだ
風が背をあはせてゐるのに
それに犬が電柱のかげを噛つてゐる
友よ 君はつかれたといふのか
「イヤ」
確かにマユゲにひびいたのだが
【求我堂にて】
絵が八方に流れても、白い干物と石ころ
ステツキを抱いて肩をちぢめると
銅貨まじりにカドランがくつついてくる
(こんな日の挨拶は駄目だ)
乳房に一点を刻んで
埃に溺れ冷あせをかいた
私は山査子の清雅な花の感情で胸を飾つた
かくて私は今日を出発する
成長する意志の強い飛躍を感じながら
小鳥よ
この笑はしげな五月の出発に
いつぱつ
お前の短銃を大きく放つてくれないか
【小便】
生殖器が嚏(くさめ)をする
マイナス・プラス
軌道をはづして、街角の土をひつぱたくと
時間を忘れちまふ
ちめたい笑ひが背中でグリグリする
(一銭でも銭ぢやないか)
肺の下が短気になつた
ブルン・ブルン
腰のまわりに眼があつて
乳房ががなり合つてゐる
ワ――ツ 声を立てさうなのを虐殺する
ブルン ブルン
【僕・デッサン】
空が青かつた 空気も青かつた
それに又しても煙突が眼を刺すのだ
絶望した顔がはさまつてゐる
足が草にペチヤペチヤひつゝいて
靴がしめつたやうに鳴りやがる
息づまるやうな夕焼に
俺の滑りが はてしなくひろがるのだ
【俺・俺達】
(1)
海瀟のやうに押しきらうとする明日への刺戟に
神と悪魔をぶち曝さう
俺が二分し三分するんだ
疲れた笑ひでもつて十字架を嘲笑ふとする
(俺は俺たちの貧乏を考へる)
(2)
分裂する自分に就いて
俺は俺と議論する
愛よりも強い愛をもつて
のどをやぶる
泣けない
笑へない
(3)
逆立ちになつて歩くのだ
汗に喰いやぶられた純潔を愛するのだ