樺美智子(かんばみちこ)1937〜1960
東京に生る。1941年、沼津に移住。1950年、芦屋に移住。1953年、兵庫県立神戸高校入学。1956年、東京に移住。駿河台予備校入学。1957年、東京大学文科二類入学。教養学部自治会自治委員。11月、日本共産党に入党。1958年秋、日本共産党脱党。共産主義者同盟に加盟、同書記局員となる。1959年、東京大学文学部国史学科に進学。10月、東大文学部学友会副委員長となる。1960年1月、羽田デモにて逮捕。2月に釈放。5月、副委員長を解任。6月15日。国会構内で死す。
『足音は絶ゆる時なく ―樺美智子追悼詩集』樺美智子(白川書院/1960)
『人しれず微笑まん ―樺美智子遺稿集―』樺美智子(三一書房/1960)
『復刻 人しれず微笑まん ―樺美智子遺稿集―』樺美智子(新泉社/2011)
(小学生のころ)
【赤とんぼ】
ひさしぶりの雨あがり、私は宿題がすんだので、外へさんぽに出た。
草や木が、ぬれている葉を、ひさしぶりに顔を出した太陽の光に、われがち
にとあてているようだ。
風もなくさわやかな雨あがりだった。
ふと目についたものがあった。それは畑のまわりにさしてある竹だ。
その竹の上に赤とんぼが静かにやすんでいた。まっかな体にすきとおるよう
な羽だった。
私はなんだか、そっと手をだして取りたくなった。けれども、私のある心が
それをとめた。赤とんぼは、ああして生きているから美しい、とびまわって
いるからきれいなのだ。もし取ってしまったら、その美しさがなくなってし
まうのではないかしらと思ったからだ……
その時男の子がかけてきた。その足音にびっくりして赤とんぼはとびさって
しまった。私はその男の子がにくらしい気がした。もっと赤とんぼを見てい
たかったのに……
つまらなくなったのだ、家へ帰った。
庭の菊のつぼみがふくらんでいた。
【雨】
また降り出した雨を私はうんざりした気分でながめていた。
せっかくきれいに咲いている花も、なんだかしょげたように下をむいていた。
ジョンも今日ばっかりは犬小屋へ入ってしまっている。
私はさっきから庭に降りしきる雨をただ無ごんにながめていた。
だれもいないひっそりした室に柱時計の音がひびいている。
今日はめずらしく宿題がない。いつも遊びたくてたまらない天気のいい日に
山のように宿題を出すくせに、今日にかぎって出さない先生がなんだかうら
めしくなる。
雨はあいかわらず屋根をたたいていた。時計が三時をしらせた。三時だとい
うのにもううすぐらい室では本を読む気もしない。
私はだんだんと方々の景色をながめた。あっちの電線にすずめが五、六羽さ
むそうにとまっている。遠くの山々はほとんどきりで見えないほどだった。
ふとラジオをかけていないのに気がついた。ほんとうになぜもっと早くラジ
オをかけなかったのか、ふしぎな気がした。
【星】
一、きらきらかがやく星
数えきれないほどの星
宇宙のはてまで続く星のむれ
いったい星はいくつあるのでしょう。
二、きらきらかがやく星
よもに光をなげる星
一度他の星へ行ってみたい
そうしたら何があるでしょう。
三、きらきらかがやく星
清らかにすんだ星の光
ああ、その星の光をあびる私達は、
きっと幸福でしょう。
四、きらきらかがやく星
人間のあこがれている星
夜になるとすがたをあらわす星
きらきらと光りかがやきながら。
五、きらきらかがやく星
悲しい時にはなぐさめてくれる星
元気をつけてくれる星
ああ、そして私達の前途を照らす星。
六、きらきらかがやく星
人間のたまいしをも動かすあの星
ああ、人間になくてはならぬ美しい星よ
星はいつまでも私達を見守ってくれるでしょう。
(1956)
【最後に】
誰かが私を笑っている
こっちでも向うでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れず ほほえみたいものだ
【ブリュメール】
そこには みにくさがある
アメリカ革命にあったように
フランス革命にもあったように
人間のみにくさがある
そこには 悲惨さがある
それら以上の悲惨さがある
しかし
よりひたむきな清純さが
自由以上の自由を求める心が
そこにはある
こんな風に私は思う
【年賀状(1)】
Prosit Neujahr! 1956
新しい年を迎えて
自分を じっとみなおしてみる
そして社会の姿を
じっくりとみつめてみる
細くてけわしい道
自分の道が そこにある
ぶつかっていこう
しりごみしたり くさったりせずに
頑張ってやろう
精いっぱいの力で
そして起き上るのさ
叩かれても 転んでも
新しい年よ
おべっかはごめんだ
私には苦しみを持って来い
若人には厳しい試練の年であれ
そんな年に向って私はいう
プロージット・ノイヤール!
【年賀状(2)】
『プロージット・ノイヤール 1956』
自分をじっと
悪方向に向わずに
経済の実力が培われ
みんなの生活が
実質的に向上する年であって欲しい
そして新しい年よ
私には苦しみを持って来い
若人には厳しい試練の年であれ!
そんな年に向って私は云う
プロージット・ノイヤール!