太田博

太田博(おおたひろし)1921〜1945
東京渋谷区にて出生。
1930年、福島県郡山市の伯父の養子となる。
1933年、郡山商業学校入学。
1934年、詩誌「蝋人形」郡山支部に加入。
1938年、郡山商業学校卒業。郡山商業銀行(現東邦銀行)に入社。詩誌「北方」創刊。
1941年、この年「蝋人形」入選作多数。
1942年、召集、千葉県柏に入営。
1944年、那覇港着。読谷地区にて北部飛行場防衛に当たる。12月、「相思樹の歌」作詩。
1945年、米軍上陸。6月20日、糸満市にて戦死。

『太田博遺稿集 無名詩人太田博の生涯と軌跡』太田博(福島県立郡山商業高等学校同窓会/2010)

【相思樹の歌】
目に親し 相思樹並木
往きかえり 去り難けれど
夢の如  疾(と)き年月の
往きにけん 後ぞくやしき
学舎の  赤きいらかも
別れなば なつかしからん
吾が寮に 睦みし友よ
忘るるな 離(さか)り住むとも
業なりて  巣立つよろこび
いや深き  嘆きぞこもる
いざさらば いとしの友よ
何時の日か 再び逢わん
微笑みて  吾等おくらん
すぎし日の 思い出秘めし
澄みまさる 明るきまみよ
すこやかに 幸多かれと
       幸多かれと

【黒い鳥と小石】
わたしは磽地(いしぢ)をあるいてゆく
まろやかな蒼い小石を探しながら
いちめんの水がつめたい
たそがれの河原
翳をもたないくろい鳥が穹を翔けてゐる
わたしは磽地をあるいてゆく
小石を入れたふくろは重い
黒い鳥よ
その隙間から
心地よく晴れわたった大空を覗くと
心の隅の心配までが
失くなって仕舞ふ
枝から枝へ渉りあるく風に誘はれて
枯葉がかさかさと落葉(おち)る
積り重なった落葉は
ちょうど
沙漠の商人が賣りにくる
絨氈のやうだ

【殺意】
灼けた砂をまさぐれば
ゆくりなく 掌に觸れた
蒼白く發光する貝殻
耐えがたい潮騒の聲が
耳朶(みみ)ちかく炎えた
黝々と星座がもえくづれた
(何故あなたは眸を反けたか)
ああ ほのかにくるめくものゝなかで。

【石】
默ってゐる石
默ってゐる石
億年を刻んだ歴程を截れば
脊椎動物の呻きが流れるであらう
血液のやうに。
默ってゐる石を ひっくりかへせ
下から哺乳類の骨盤が
白い化石となって
發掘されるかも知れない。
石は眇(すがめ)だが
射すくめるように眼を据える
默ったまゝで
默ったまゝで。

【ましろき卵】
淋しきときは ゆふぐれは
ましろき卵 掌にとりて
灯ちかく すかし見つ
春けき夢に あこがるゝ
佳きあてびとの おもかげを
ましろき殻に秘めたれば――。

【挽歌】
紅い蝋燭の燼(もえがら)を掌に
星の座をいづこへ
きみは歩み去らうとするのか
なゝいろの夢にひとみを染め
もはや見えざるものの
聖なる飛沫を浴び 濡れつゞけては
くちびるに地上の歌寂れ
いまだ聽かざりし深韻の諧調が
きみの跫音(あのと)にこもる
肉體の砂礫となるまで
紅い蝋燭の燼を掌に
きみはためらひなく歩み去る
永劫に癒えざる不眠の國へ

【獻詩】(いまは亡き詩人ちもんに)
夢も希ひも よろこびも
落葉とともに 散りしきぬ
なべて儚き あくがれは
粉雪とともに 散りしきぬ
萬象(ものみな)聲を うしなひて
涙するとき 咽ぶとき
樹氷は咲きて 終るなき
きみの詩(うた)をば 象(かたど)らむ

【よあけ】
つめたい光芒! ひかりがこんなに滾々(こんこん)と
湧くうつくしいよあけだ。
裸だけれども、眞實な樹木の呼吸(いぶき)はよろ
こびにふるえて。
とりたちよ、わたしの歌をうたっておくれ、
倖せはやってきた、と。
けふもあいするものゝために、わたしは
生きはじめる、
髪の毛までめざめ、肺のなかへ爽涼と聖
らかな朝の挨拶――。