大関松三郎

大関松三郎(おおぜきまつさぶろう)1926〜1944
926年(昭和元年)9月7日、新潟県古志郡黒条村字下々条1294番地(現・長岡市下々条町)、1町7反の田と若干の畑を耕す小作農大関仁平次、妻イシの次男に生まれた。松三郎という名から三男と錯覚されやすいが次男、10人兄弟の3番目である。父は平凡な小作百姓のようであったが、母のイシは気の勝った働き者で利発な性格、松三郎の性格の多くは母の性格を受け継いだものだという。黒条村尋常高等小学校で寒川(さがわ)道夫の指導をうけ、生活詩をつくる。第2次大戦中、海軍通信学校を卒業し、自ら志願してマニラ通信隊におもむく途中、南シナ海で雷撃をうけて昭和19年12月19日戦死。享年19歳。
さがわみちお編「大関松三郎詩集 『山芋』」がひろく一般に知れるに到ったのは、戦後の綴方運動復活の年、といわれた1951年に、無着成恭『山びこ学校』と相前後して出版され、戦中、戦後の生活教育、生活綴方運動のすぐれた達成——戦中の『山芋』、戦後の『山びこ学校』——として評価され、脚光を浴びたからである。そして、国分一太郎の言葉を借りれば、小・中学校での生活綴方復活の気運をうながすと共に、おとなが書く生活綴方・生活記録運動への契機をつくった、そういう歴史的意味をも含んでいる。

『山芋』大関松三郎(歿後出版/1951)

【山芋】
辛苦して掘った土の底から
大きな山芋を掘じくり出す。
出てくる出てくる でっかい山芋
でこでこと太った指のあいだに
しっかりと土を握って
どっしりと重たい山芋
おお、こうやって持ってみると
つあつあ(おとうさん)の手そっくりの山芋だ。
俺のも こんなになるのかなあ。

【虫けら】
一くわ
どしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれて
あんきにくらしていた虫けらが
おれの一くわで たちまちおおさわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえらは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
おれは おまえたちの大将でもないし、敵でもないが
おれは おまえたちを けちらかしたり
これおしたりする
おれは こまった
おれは くわをたてて考える
だが虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやかさんばならんでや
おまえらをけちらかしていかんばならんでやなあ
虫けらや 虫けらや

【ぼくらの村】
ぼくはトラクターにのる スイッチをいれる
エンジンが動き出す  ぼくの体がブルルンブルルンゆすれて
トラクターの後から 土が波のようにうねりだす
ずっとむこうまで  むこうの葡萄園のきわまで まっすぐ
四すじか五すじのうねをたがやして進んでいく
あちらの方からもトラクターが動いてくる
のんきな はなうたがきこえる
「おーい」とよべば 「おーい」とこだまのようなこえがかえってくる
野原は 雲雀のこえとエンジンの音
春のあったかい土が つぎつぎとめくりかえされて 水っぽい新しい地面ができる
たがやされたところは くっきりくぎられて
そのあとから肥料がまかれる 種がまかれる
広い耕地がわずかな人とわずかな汗で
いつもきれいに ゆたかにみのっていく
葡萄園東側にずっと並んでいるのは家畜小屋
にわとりやあひるや豚や兎や 山羊やめんようがにぎやかにさわぎまわり
そこからつづいている菜種畑や れんげの田には
いっちんち 蜜ばちがうなりつづけている
食用蛙や鯉やどじょうのかってある池が たんざく形に空をうつしながら
菜種畑の黄色とれんげ田の紅色の中に 鏡のようにはまりこんでいる
ずっとむこうの川の土手には 乳をしぼる牛や 肉をとる牛があそんでいる
こんなものの世話をしているのは としよりや女の人たち
北がわに大きなコンクリートの煙突をもっているのは 村の工場
半分では肥料を作っているし 半分では農産物でいろんなものを作っている
あそこから今でてきたのは組合のトラックだ
きっと バターや肉や野菜のかんづめや
なわやむしろやかますや靴なんかをのせているだろう
村で出来たものは遠い町までうられていく
そして南の国や北の国のめずらしいものが 果物でも機械でもおもちゃでも本でも
村の人たちののぞみだけ買ってこられる
組合の店にいってみよ 世界中の品物がびっくりするほどどっさり売っているから
あ、今 工場の右の門から蜜ばちのようにあちこちとびだしたオートバイは
方々の農場へ肥料を配達するのだ
いい肥料をうんと使って うんと肥えた作物を作らねばならない
あちらこちらから 静かにくる白い自動車は 病人をのせてあるく病院の自動車だ
「よう恒夫か、足はどうだい」 「もうもとどおりにはなおらんそうだ それでこんどは
 学校へはいってな 家畜研究をやっていくことになったんだ」
「おおそうか しっかりやってくれ さようなら」
自動車はいく ぼくはトラクターを動かす
病人はだれでも無料で病院でなおしてもらう
そして体にあう仕事をきめてもらうのだ
だれでも働く みんながたのしく働く 自分にかのう(かなう)仕事をして
村のために働いている 村のために働くことが自分の生活をしあわせにするのだ
みんなが働くので こんなたのしい村になるのだ
村の仕事は 規則正しい計画にしたがって 一日が時計のようにめぐっていく
一年も時計のようにめぐっていく
もう少しで 村のまんなかにある事務所から 交代の鐘がなってくるだろう
そうしたら ぼくは仕事着をぬぎすて 風呂にとびこんで 体をきれいにする
ひるからは 自分のすきなことができるのだ
絵でもかこうか 本でもよもうか
オートバイにのって 映画でもみにいこうか 今日は研究所にいくことにしよう
こないだからやっている 稲の工場栽培は
太陽燈の加減の研究が成功すれば 二ヶ月で稲の栽培ができる
一年に六回 工場の中で 五段式の棚栽培で 米ができるのだ
今に みんなをびっくりさせてやるぞ 世界中の人を しあわせにしてやるぞ
村中共同で仕事をするから 財産はみんな村のもの
貧乏のうちなんか どこにもいない
子供の乳がなくて心配している人なんかもない
みんなが仲よく助け合い 親切で にこにこして うたをうたっている
みんながかしこくなるよう うんと勉強させてやる
学校は 村じゅうで一ばんたのしいところだ
運動場も 図書館も 劇場もある  ここでみんなが かしこくなっていく
これがぼくらの村なんだ こういう村はないものだろうか
こういう村は作れないものだろうか いや作れるのだ 作ろうじゃないか
君とぼくとで 作ろうじゃないか 君たちとぼくたちとで作っていこう
きっと できるにきまっている
一度にできなくても 一足一足 進んでいこう
だれだって こんな村はすきなんだろう
みんなが 仲よく手をとりあっていけばできる
みんながはたらくことにすればできる
広々と明るい春の農場を 君とぼくと トラクターでのりまわそうじゃないか

【雑草】
おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれてしまう
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまうだれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取ってもよくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草

【みみず】
何だ こいつめ
あたまもしっぽもないような
目だまも手足もないような
いじめられれば ぴちこちはねるだけで
ちっとも おっかなくないやつ
いっちんちじゅう 土の底にもぐっていて
土をほじっくりかえし
くさったものばかりたべて
それっきりで いきているやつ
百年たっても二百年たっても
おんなじ はだかんぼうのやつ
それより どうにもなれんやつ
ばかで かわいそうなやつ
おまえも百姓とおんなじだ
おれたちのなかまだ

【畑うち】
どっかん どっかん
たがやす
むっつん むっつん
たがやす
鍬をぶちこんで 汗をたらして
どっかん どっかん
うんとこ うんとこ
たがやす
葡萄園の三人兄弟みたいに
深くたがやせば たからが出てくる
くわの つったるまで たがやす
長い長い ごんぼうできよ
まっかな人参もできよ
ぷっつん ぷっつんと
でっかい大根もはえてこい
かぶも 山芋でも でっこくふとれ
たがやせば 畑から たからがでてくるのだ
汗をたらせば たからになって 生まれてくるのだ
うまいことを いったもんだ
けれどもそれは ほんとのことだ
ぐっつん ぐっつん
腰までぶちこむほどたがやす
星がでてくるまでたがやす

【水】
大きなやかんを
空のまんなかまでもちあげて
とっくん とっくん 水をのむ
とっくん とっくん とっくん とっくん
のどがなって
にょろ にょろ にょろ つめたい水が
のどから むねから いぶくろへはいる
とっくん ろっくん とっくん
にょろ にょろ にょろ
息をとめて やかんにすいつく
自動車みたいに 水をつぎこんでいる
のんだ水は すぐまた あせになって
からだじゅうから ぷちっとふきうでてくる
もう いっぱい
もう ひと息
とっくん とっくん とっくん とっくん
どうして こんなに 水はうまいもんかなあ
こんな水が なんのたしになるもんかしらんが
水をのんだら やっと こしがしゃんとした
ああ 空も たんぼも
すみから すみまで まっさおだ
おひさまは たんぼのまんなかに
白い光を ぶちまけたように 光っている
遠いたんぼでは しろかきの馬が
ぱしゃっ ぱしゃっと 水の光をけちらかしている
うえたばかりの苗の頭が風に吹かれて
もう うれしがって のびはじめてるようだ
さっき とんでいったかっこうが
村の あの木で 鳴きはじめた

【しょんべん】
どてっぱらで しょんべんしたら
しょんべんが白い頭をして
にょろ にょろ
どてっぱらをおりていった
へびになって
にょろにょろ まがっていった

【夕日】
いっちんち いねはこびで
こしまで ぐなんぐなんつかれた
それでも  
夕日にむかって歩いていると
からだのなかまで
夕日がしみこんできて
なんとなく こそばい
どこまでも歩いていきたいようだ
遠い夕日の中に うちがあるようだ

【雪ふみ】
どっさりふった あたらしい雪
これだけの雪をふらして
空は 雲一つなくまっさおにはれている
細い柿の枝も ぽっさりふくらんで
銀のこなをつけたように ちりちり光っている
ちゅっ ちゅっ ちゅっ
すずめがとんで枝をいさぶると
こまかい雪が 銀のこなのようにこぼれて
しずかにながれていく
目のたまのおくまで いたくなるほどか※がっぽい   ※まぶしい
あたらしい雪のみちふみ
まだ誰もふんだことのない雪に ぽさりと足をいれる
もったいないような
うれしくてたまらない気持ちがする
ひろびろした きれいな道をつけてやるぞ
かんじきのあとが きちんとついて
そこをふみつけていくと おもしろくてたまらない
ふんだところと ふまないところと
きちっとさかいがついて ああ きれいだなあとおもう
ぎゅっ ぎゅっ ぎゅっ と ふんであるく
きれいなもようがついていく
いろいろ くふうして雪をふむ
人間がとおるのは もったいないようなきれいな道
ごみ一つないきれいな道
まっさおい空に まっ白いテープをわたしたような小枝
どこからきたか
そのむこうに とんびがもうている