江島寛(えじまひろし)1933〜1954
朝鮮全羅北道群山に生まれる。本名星野秀樹。父は朝鮮で郵便局を経営。小学生の頃から仲間を集めては小型雑誌をつくったりした。1945年9月30日 帰国。山梨県南巨摩郡曙村の両親の郷里に住む。中学校の文芸部で「峡南文芸」を創刊。短歌、詩、小説を書く。サルトルの影響を受け、自らも実存主義者を名乗ったことがある。高校へ入学後、青年共産同盟を組織。丸山照雄、浅田石二らを知る。1949年、高校を放校され上京。小山台高校に民主青年団を組織。1950年、高校で「夜学生の四季」を上演、サークル誌「青エンピツ」を発行。1951年、下丸子文化集団の結成に参加。『詩集下丸子』創刊。高校卒業後郵便局に勤務。1954年、紫斑病にて死亡。
『江島寛詩集』江島寛(江島寛詩集刊行委員会/1955)
『鋼鉄の火花は散らないか』江島寛・高島青鐘(社会評論社/1975)
【パンク】
狂い坊主が歩いて行きます
うちわのような太鼓をたたき
荒々しく狂い坊主が歩いて行きます
けれどパンクしたバスはなおりません
トラックが通ります
白色の標識が目にしみます
馬があばれます
女学生が悲鳴をあげます
赤色の筆箱が転りおちます
けれどパンクしたバスはなおりません
着かざった女の人がかん高く笑います
女学生が歌をうたいます
ハイヒールをはいた人がつまづきます
男の人がキングの本をよんでいます
けれどパンクしたバスはなおりません
【砂場】
姿は青葉のなかに
見えない――
だが聞こえてくる
はしゃいだ声 小さく
コンクリの壁の下の
日だまりの中で
子供は
砂場の砂にまみれて
たわむれる
べろめ べろめ
いつのまにか
青葉の中から蜂が とんでくる
べろめ べろめ
【冬の光】
つらら――
冷たい光はしずくし
赤革表紙の本に
かげを落とす
窓は開け放たれ
まひるの空気は何のためらいもなく
常緑の葉をゆるがしては
貴女の髪毛をまきつける
白いテーブルクロースに
赤くひかった本のちらばり
そして私と貴女が静かに微笑んでいる
ただそれだけ
ああ
つらら――
とけることもなくしずくし
あたりに光をまき散らし
小さな夢を――
【旗のない日】
――息はとだえ、埃のように乱れた――
1
狭く湿った舗道に靴音が入り乱れて
高く連なった窓々の一つに
ブロンズの半身像が凭れかかっている。
其れは壁に屈折して傾いた光を
ひたいに受け
雲に赤く染む埃の空に瞳を向けた。
2
舗石に
書籍の古いにおいが漂い
夜去った雨にガス燈は濡れた。
バラ形の紋章をつけた車が走り
馬は
栗色の毛をゆさぶり去った。
3
港の波は光をさえぎり底流は黒く瞳をしりぞけ
晩い季節をうたう鶺鴒は去った。
赤道の郷愁を慕う僅かの船は
帆をかかげ 風を
垢めいたにおいに受けた。
4
合歓木の痛みが瞳の盲点を捉え
それは変形し
葡萄状の赤銅の連鎖をつくった。
九月の体臭は秘かに愛され
花粉は四散し
風に捲かれた。
蜂が羽をふるわせ きりもむような音を残して
空をかけると
すでに光は顔面の半ばをとらえ
その境界は点画風に細かく融合した。
【あくびの出そうな会合に出た娘】
あの人は 頬づえをついて
本をよみあげている。火鉢に足をついて。
三人 ねむそうなかおして
きいているのか。きいていないのか。
わたしは 足をくんで
もち上げた足に
わたしを感じる。
乾いたみちを
あの人のそばで
笑いながら
歩くこと。
二月の陽気は あの人のかおを
どんなに
かえてしまうかしら。
【沼】
一点の灯は
沼にうつって対になる。
闇におおわれた
樹も
ぼくらの
目も
対になる。
枝のような手を
前に出して
盲のように このときまで
ぼくらは沼とむき合っていた。
沼は
よみがえらせる
きのう 陽のましたで
狙撃された子供の
目を。
時を刻んで
砂にかわってゆく
目を。
うた
くちづけ
ほほえみ
きのうまでかれが愛していた
もちものをかえすために。
このときからぼくらはみることができた。
かわってゆく季節の
くしめを。
目のなかに
産卵してゆく魚の群を。
ぼくらは抱きあう。
かげの領地の境をなくすために。
【煙突の下で】
――うたえる詩をつくるこころみのてはじめ――
1
煙突の下で
おれたちの
青春は いきづいている
とりもどそう みんなで
平和のために
吹きあげよう
煙突の煙
おれたちの
胸は もえる炎だ
2
クレインの下に
おれたちの
力は みなぎっている
とりもどそう みんなで
解放のために
うちあげよう
鋼鉄の火花
おれたちの
肩は かたい砦だ
3
どんな時にも
おれたちの
心は 結ばれている
とりもどそう みんなで
働くもののために
つくりあげよう
美しい祖国
おれたちの
歌は 不屈の誓いだ