海野秋芳

海野秋芳(うんのしゅうほう)1917〜1943
山形県朝日町に生まれる。本名巳芳(みよし)。上郷小在学時代の成績は優秀で、三年より卒業まで級長を務める。1932年、上京。薬局の店員として勤務。この頃より詩作をはじめる。1936年、詩誌『モラル』同人となり、「土曜会」に出席するようになる。1937年、壮丁検査を受け第二補充兵となり帰郷。山形詩和会の会員となる。1938年、続々と作品を発表する。山形の詩人たちとも多くの交わりを持つ。「簇」同人となり【職工生活】を発表。また「詩現実」同人となり、一遍を発表。1939年、「詩生活(モラル)」最終号に【飢えてみろ】発表。「新日本詩年鑑」に【錆】を発表。また教育召集のため青森県弘前連隊に入隊。同人詩誌の発行を計画するも成らず。1940年、「旭華」に【奉祝二千六百年】を発表。双関の関節炎リウマチの疼痛に苦しむ。1941年、高村光太郎に序文を願い、『北の村落』発刊。助膜炎を併発。1943年、腎臓結核に尿毒症を併発し。5月12日死去。

『北の村落』海野秋芳(鸚鵡社/1941)

【連峯】
その山脈は北に向かつて走り
どんよりとした空あひを
右と左に 餘りにもたあひない程
哀れな人間共の生活を見送り 迎へる

千萬年このかた
變化自在の仙人のやうに
さゝやかな 無數の生命を占ひ
冷雨呼び 風を招いたであらう

巍然とした肩をすかして 今日を
ざれまとふ雲と語るのか
許されて
風 山霊の笛を吹け

【北の村落】
なあんだ また雨來るだべ
そうだべな

けふで十日もならうに重すぎる北國の空模様である
この樣に 雨空低くたれ
粟の穂先天を指す秋
それは すざまさしい海浪の迫る豫告ではあるまいか

父(とつ)つあ 行田(なめだ)さ行つて見ろ 穂先 天コふいてるから
俺あ 見たくもない
親も 子も
今年こそと勵ましあひながら
たぎる樣な水田の害草(くさ)をとり 稻株(かぶ)の繁出(もで)を數(かぞ)へたのに
仕方がない大根葉(ひば)を納屋にしまふんだ
それから飮水を汲んで呉れ
冷雨降る日を 木の根などくべて
膏薬をあぶり 疲れた關節(ふしぶし)にはる
おつ母(かあ) 白髪拔いてやるべ
構はないでくれ 針の溝 この暗さでは通らないから――
野良着繕ふ母も老ひたのか
賣薬袋さげた下にうづくまり 振り向きもせず 荒れた 掌をうごかすのである
野良話は 雨の日を暗くのしかゝつて來る

【故園】
あの頃のほころびを
木綿針でつゝいて
日向ぼっこの婆さんがいる

【蕗】
ながい旅から
ほこり立つ道をゆられ
歸へつて來た

もどかしく
どつと かけ込みたい氣持(こヽろ)を支へて
やきつけられた 日傘

戻らうか
詫びようか

いまさらに 顔のなく歸へつて來て
母を呼ぶこゝろ

うかがへば
しがみつく絆をゆすぶつて
女人が笑つてゐる

【土】
この生活(くらし)になれても
苔むした無縁墓石に
何の希(ねがい)をかけようか

都会がへりの人見れば
ゆらぐこのこころ
聞かないでくれ

粧ひのまぶしさ
百千の金 何になろう

稲穂天を指す秋
一杯の粥すゝりあふても
しぶとく生き抜いて
俺ら
みのりする秋を知ってゐる

【北の村落】
押し潰されそうな山峡の村落である
今日は下駄屋のよね坊が賣られて行ったそうな
‐‐―あれも一年足らずで大きなお腹をかゝえて來るだらうよ
前借に前借を重ねて娘を銘酒屋に沈める貧困な村である
今度は何處の娘が 泣寢のまぶたを覺ますだろうか

大雪が祟って稲穂がつんと立つたきり
收穫(とりいれ)のない秋
淋しい田圃の畔で 爺様たちがこぼしてゐる

―――俺達も長生きするでねがつたなア
―――全くだ 祿な飯も食(くら)へられねいで いつそ
―――まあまあ そう云ふたとて どうにもならないし
來春まで待つだね

齢ぼうけや 女子供寒々と殘り
ひたむきに 若者が出かせぐ都會の魅力

あこがれがあこがれを引いて
義理さへもなく さびれゆく
村落の光なき夕暮である

昭和七年東北地方を苛んだ冷水害は今や忘れられ
ようとしてゐる、忘れてはならない、村を愛する
心は先祖を愛する心だ ―――昭和十五年春――

【我】
そのことは
惡いと知ってゐた
それでも
あくまで頑張った

若さは
何時でも無謀に馳せ拔け
煌めけば
眞紅(まっか)な雨など降らせて
笑ってゐる

【蝮の行方】
何年と云ふ長い間 私は探してゐる
判つてゐるやうでわからないおまへ
今頃何處をうろついてゐるのか
こんなに雨の降る夜を
おまえは
濡れ鼠の様になつて 篠つく大川端でもうろついてはゐないのか

私の室の窓下あたりに しのんで來てゐるのではなからうか
それとも おまへは
何處か 遠い原始林の中あたりで 骸にでもなつてゐると言ふのか

私はじつと おまへの事を考えてゐる
早く大きくなりたいと言つたおまへ
私と一緒によく惡童になぐられたおまへ
四六中 生創の絶へなかつた五體を 火の様な舌を出してなめづつてゐたおまへ
それでゐて お伽話の様な夢を見てゐたおまへ
一體 今頃 何處にゐるのか
まだ 死にはしないだらうね

こんなに 雨の降る夜
きまつて私はおまへの事を想ってゐる
おまへはどんな事があつても 親から貰つた生命を無下にすてない事を
私は知つてゐる
どんな憂目にあつても おまへは ずぶとく生き抜いてゐるであらう

それだから なほさら 私にはおまへが戀しいのだ
おまへは生きてゐる 生きてゐる 死にはしないのだ
今頃おまへは 何處かで不逞々々しくのさばりながら潜んでゐるのではないのか

【血型】
ながいこと カーキ色の從隊がつゞいた
多くの顎紐をかけた戰闘帽の中から
おまへは 兄さんと呼んでくれた
章 元氣で行つて來い
握つたおまへの掌は
逞ましくふしくれ 何か どぎついものにおもはれる

前線へ行く兵隊
百千の旗に歡呼するどよめき
その中で 握ぎりかへすおまへの掌
章 今日を忘れるな
多くの顎紐をかけた戰闘帽の中に
もつとどぎつい その掌を握らせてくれるまで
私は其の日を待つている
おまへも忘れないでくれ

海山越へて征つても
つながつてゐるものがある
ながれるものがある