池田浩平

池田浩平(いけだこうへい)1922〜1944
1922年7月 高知県農人町に出生
1937年9月 土佐基督教会において受洗
1941年3月 土佐中学(旧制)卒業
1941年4月 早稲田第二高等学院に入学するも翌年退学
1942年4月 高知高等学校(旧制)文科第二類に入学、高等学校報国団総務部幹部として活動
1943年11月 同校仮卒業
1943年12月 学徒兵として中部第八七部隊に入隊
1944年5月 甲種幹部候補生として中部第一三一部隊に転属
1944年8月 出動命令により準備待機中、部隊にパラチフスが発生、その看護にあたり感染
1944年9月 小倉陸軍病院において戦病死
1947年4月 『運命と摂理』を新教出版社より出版
1968年7月 『運命と摂理』増補改訂版を新教出版社より出版

『浩平詩集』池田浩平(新教出版社/1976)

【日暮れ】
太陽が
  雲にかくれた
雲にかくれなくても
  もうすぐ
日暮れだのに

【人間】
神への思慕は
雲霧に包まれた高山のやうに
天に向かって
かぐはしく聖らかである

神への希求は
無涯を誇る大海のやうに
地核に向って
深々と聖らかである

神への賛美は
白衣を纒うた百合のやうに
魂に向って
楚々として聖らかである

【朝】
冷々たる朝の空気の息吹きは
何処となくきよらかである

靄々たる朝の霧につゝまれた景物は
何処となくほやかである

この時神を見んとの心が動く

【信・望・愛】
ひややかな朝である
何がなし肩をすぼめながら
若人は起き出でて空を見る
ひそやかなフクロフの声
若人は胸一ぱいに朝を吸う
しかし 此の朝
若人の眼は天空に魅せら
そこに惹きつけられたまゝである
若人と空との間を
何がなしに
一直線なものが走り通ふ

おほらかな昼である
腕を曲げ足をふりつゝ
若人は微笑んで河原に出る
翠の山と碧の水と
若人は雀のやうに躍り度い
石の群れは光る
若人の手にしぶきが白く
喜々として今をさへ忘れる
若人には眼前の光景だけで
後をふりかへることは無い
明日に止揚されるであろう喜び
やはらかな夜である
ゴロっと寝ころんだまち
若人は厳粛な想ひに浸る
パッパッと今宵それらすら憎めない
しかしこの夜
若人の眠られぬ瞼には
隣人といふ文字がうづく
若人はイエスを描き
身体のシーンとなるのを覚え
それでゐて寛いで愉しい

【明日】
蒼空はやがてかくされよう
暮れ行く今日のひそかな息吹き
たそがれの此の日の姿態は
何がなしに次の日への約束の色である

たそがれは悔いて泪する
が潤んだその眼も見開かなければならぬ
満ち溢れたこの喜びの色

すべての明日に止揚せられるであろう
歴史の方向が明日に向いてゐる
原始の匂ひさへ明日にはかぐはしい

明日が取除かれた脳味噌を見給へ
つまらない空虚と貧困とにうづいて
得体の知れぬ泪のやうな液がにじむ

おほらなに微笑む若人の群れ
逞しい肉体が潑溂と光り
神の想ひが厳粛に展がる
期待の姿勢が今日を閉ぢて行く

さあ 此の宵をぐっすり眠らう

【肉】
肉 肉 肉

郷愁のひそめき

しかし
それが何だ
すべて肉なるものよ

肉!
お前はこの世の他に
附着する何物をも持たぬ!

自分だけを不幸と感じ
他のすべてを健全と解するひがめ
弱い!
卑劣だ!

あまりにも自己につける哉
善隣の心乏しき哉

肉の健全
よしそれが自分に与へられてゐないとしても
ありのまゝに神の賜である
肉を滅亡せしめんがための
けれども
おぢおそれる弱さ
何故もっと飛翔しないか
高踏して足を地上より離せといふのではない
もっと高いところがある
美しいところがある
善なるところがある

自己撞着を超えた
調和の世界が
おごそかに存する

【罪】
世に矛盾あり
掣肘の迫り来るを

反撥
反撥

泪のにじみ出るを

此の自己撞着を

【春近いころ】
それはそれは小さい桜草が
庭陽の針の真中にぽつんと咲いた
紫は春の色のはじめであらうか

凍てついた跡のよめる黒土に
雄々しくも菜の花が咲いた
黄は雪に近しいけれども

銀色の猫やなぎも寒くない
狐の毛皮から貴婦人が覗くやうな
彼女の赤い花がかくされてゐる

みどり色のスタンドの傘が
透明なガラス瓶の椿の紅に
かんばしくも照り映えて

花だ 花だ

春だ 春だ

【のぞみ】
おぞましいおぞましい罪の人間が
この世で恣意に生きてゐる

  食ひ
  買ひ
  笑ひ……
  眠り
  犯し

  が——そこに

かぼそいながら
垂直に上昇しうる一すぢの道がある
私は
そこにのみ ほんとうにそこにのみ
生活したい