伊賀史絵

伊賀史絵(いがふみえ)1958〜1976
昭和33年12月13日、大阪府高石市に生まれる。
昭和40年4月、東羽衣小学校へ入学。
自宅近辺の道路空地などを「妖精の原(ニンフの原)」「待ちぼうけが辻」「犬捨て街道」等と名づけ、空想の要素の多い遊びにふける。
昭和46年4月、高石中学校へ入学。翌47年夏頃より、本格的な詩作を始める。
昭和49年4月、大阪府立三国丘高等学校へ入学。さらに同年秋、大阪文学学校へ入学。
昭和50年5月、8月の2回、詩誌「詩学」へ投稿。
昭和50年2月、幻聴のため京大病院へ。やがて同年12月、愛知県コロニーへ。
昭和51年10月15日夜半、妖精の原で死す。享年17才10月。

『妖精の遺書』伊賀史絵(パッケージング社/1978年)
『真友が欲しい―ある女子中学生の日記』伊賀史絵(パッケージング社/1987年)

【寂しさ】
そっとわたしの心を通っていったものが
白い蝶だったのか
あとをみつめても
花びらひとつ
残っていませんでした
ふりむくのが
いけないことだと知っていたら
ふりむかなかったのに
手にとまった
蝶を
ふりはなって
ほほえみたいのです
小さな願い
小さな蝶が舞いおりてきたので
あの蝶は
本当にわたしのためにきたので
身を隠したのです
どうしても
白い蝶とわたしが
願ってやまないので
何もかもが通りすぎていく予定です
わたしは そうならないことを
望んだのでした

【窓】
窓からは
外が見えるはずでした
朝でもないのに
透明で
何もないのです
首を出して
あなたを呼ぶと
こだまもなく
声といっしょに
からだごと空白の中へ
すいこまれていきそうでした
そうならなかったのです

【朝】
朝が
涙をこぼしていました
その涙の中に
わたしは宿り
地球を
引き潮にしました
海の中を歩いていっても
あなたが帰ってくる気配は
ありません

【埋める】
わたしはいま
埋めにいく
あなたに昔感じた
あの顔を
二度とあなたの目を
意識せず
何百年かを生きるために

そこに
ひとつの顔とともに
それにまつわる
思い出のすべてを
わたしは埋めた

現在を生きぬくために
その顔が
ひとことをいろいろに
囁く前に
しっかりと鍵をかけた
箱の中で
その顔がわたしを
苦しめることが
できないように
けれど今でもときに
地中でふたが開き
思い出が一つづつ
逃げ出してくる

ろうかでも
どこででも
わたしの鍵をもつ
男と会う
合うたびに
思い出の逃げ出る
音がする
わたしのところにやってきた思い出を
いつのまにかとらえて離さない
わたしの中の弱い部分

わたしの害のあるものを
すべて埋めたつもりで
実は不幸ばかり残して
幼い思い出が
土の中にある

いのちに必要なすべてを埋めて
新しい顔を造るために
しかし造ったすべての顔が
あの顔をうつして死んでいた

わたしの顔もさらっていった
埋められた顔のあとに
肉体だけのわたしが
それからずっと生きている

【初夏の日に】
こがねむし飛ぶ
夕日の中で
あなたは起きあがる
翅のないとんぼの
青い目の中に住むわたしに
きのう
生きることをやめた手紙がきた

【紺色の世界】
ふいにとんぼが飛んできて
わたしの目をさしました
わたしは友と
星蝕の話をしていたので
もうすぐ夜が明ける
オリオンのことでしょうか
足もとから
時間の粉がとんでいって
わたしはもう
死んでいく人間にふさわしく
目を閉じていました

【誓い】
青く
透きとおった島の
さすらいの
欲望を
髪の毛で編んだ
籠に摘みとり
幾世紀もの間
死んだあなたを
持っているのです

【喪失】

わたしには
青い夕暮れが
いつでも手にとれたのです
森の中には
ひとひらの蝶がいて
わたしはそこへ
髪を売りにいきました
あなたは
とうとうやってこなkったのです
やさしい歌は
書けなくなりました

【旅立ち】
白い
夕焼けを
ながめて
木の中に
かくれている
あなたにむかって
星だけの夜は
かたむきます
何もない野原に
一筋の
髪をさらすわたしは
あなたに言おうとしたことを
みんな忘れて
氷河期へ
旅立っていきました

【無題】
静かに歩いていると
空気のかたまりだけが
見えるのでした
遠く指さすと
それは とてもかすかに
ゆれながら
遠のいていくのでした
ひっそりと
口を閉じて
笑ったもの
流れたものを
おもい出そうとしているうちに
わたしの寿命はつきていきました

【探す】
わたしのまわりのこの風景の
どこかにくい違いがあって
空気の流れの源は
確かにそこから出ているのでした近くには何もないので
手さぐりをして 白いあかるみをゆくと
かくれんぼの声が続いて
「もういいよ」
と 土の中にかくれた
まちがいたち
だから
土まみれになって
毎日毎日
堀りつづけたのでした

【無題】
ふいに顔をあげると
いつものあなたがいる
何度埋葬しても
消えてゆくものは同じ

一日中 黒い杉の木の上に
青ざめた夕日がうかんでいた
心から糸のように
いのちが流れおちていって
もう なにもない
しずかなからだに
にぶい いたみだけがある

【位置】
君の位置は
あそこです
あなたの位置は
ここです
わたしの位置は
遠いむこう
位置から脱落したものの
見えない寒さ
位置から離れる時の
頬をかすめて去る
鋭い時間の刃(やいば)
太古の者に落とされたような
奇妙な落書
わたしがわたしである位置から
離れた時は
常に身がまえよ

【苦痛】
すると 鉄ぐしをつきさした
痛みがはじまる
灰色の夜明けに
肺胞のような
うつろな空洞がたくさんあって
冷い北西のすきま風
こんなに明るいのに
なぜ何もないのかしら
空洞のひとつひとつに
原始の人のように
わたしがうずくまっている
赤々と燃える火だけはなくて
空洞の痛みが
たてに数列
わたしの中を走る

まむしのうろこ
やもりのうろこが
はがれおちて
あとには粘い
軟体動物のような
わたしの肌
針でひっかくと
血のような跡が
くっきりとふくれあがる
紅い綱がはりついたように

苦々しくもう一度
服毒しよう
かえらないものを
もっと確かに
残酷にするために

【叫び】
今 開いた
原色の花
嘔吐
まわりの色が
褪せていく
けして許さない人を
抱きおこすと
死臭があたりに
満ちた
かびのはえた空気の中で
ひざまづくと
叫びの欲望がねじれながら
たちのぼっていく

【殺人】
夕日の
ぶよぶよした
皮を破って
どろっとした液が
流れおちてしまうと
あとには
まっ白な
夢のない夜が続く
誰かが夜を割って
のろしをあげている
いつも同じしぐさ
同じ微笑みで
あなたはわたしを殺す
何回も何回も
ざっくりと殺す