「一切のルールなし目的なし」
大竹伸朗展/東京国立近代美術館

  日本よりも海外での評価が高い大竹伸朗氏だけあって「大竹伸朗展」には多くの外国人が来館していた。画壇に守られることもなく、己自身によって芸術の荒野を切り開いてきた大竹伸朗だからこそである。
 大竹氏のエッセイを読んで感銘をい受けていたので、この展覧会は突き合わせをする為にも有意義だった。



 美術用語の「コラージュ」は「貼り付ける意」と辞書にある。いたって明解だ。何かと何かを貼り合わせること、そこには何と何を貼るかは具体的に書かれていない。
 確かに明解だが禅問答のようでもある。「貼り付けること」の解釈をぶっきらぼうにこちらに投げかける。投げかけた着地点がビルの屋上ということなのか。
 考えてみれば世の中に数多くある「コラージュ」という手法で作られた作品について意識して調べたことがない。この二十五年、「貼り付けること」は、確かに自分の内側で動き続けている出来事ではあるのだが、それが一体何なのかまだ何もハッキリしない。
 選びに選び抜いた素材を究極まで無駄を削ぎ取った構図の中に構成したもの、絵の一部に効果的に貼り込まれたもの、幾重にも貼り破きまた貼られたもの、「コラージュ」といってもさまざまだ。
 最小限にしろ過剰にせよ「コラージュ」とは素材を足していく技法と言えそうなのだが、どうも事はそう単純ではなさそうだ。自分が「コラージュ」において反射的に興味が湧くものには、「貼り付け」というプラスの作業によって覆われた表面にゼロ状態のバランスを感じ取れるものであり、そこにはスタイルは関係しない。
 「+と-」、こちらに入り込む「コラージュ」にはそんな電極のバランスに似たものをいつも感じる。
 多くの子供が普通にするように小学校低学年の頃が好きなマンガをチラシの裏やノートに描き写していた。一生懸命描き写した絵がオリジナルの形とは違ってしまったとしても、ニュアンスにおいて、「これはイケた!」と思う時があり、また逆に定規で形を計り時間をかけて描き写してもそいった快感に至らないということもそんな遊びで実感した。この感覚はすごく不思議なものだった。
 きっとこれは「匂い」のようなものなんだろう、とその頃は思っていた。今考えればその「匂い」とは人が何かを見た瞬間、その人の頭の中に現れるイメージ、もしくは体で感じる皮膚感覚のようなものなのだろう。最初に嗅ぎとったその「匂い」が描き写した絵の中に漂っていること、それが自分にとって一番大切なことであり、決して見た目の形がすべてではないという興奮はますますマンガ写しに歯車をかけた。
 そんなことを繰り返していたある日、当時お気に入りだったちばてつや氏の「紫電改のタカ」という戦争物マンガの四色刷りの表紙に挑戦したことがあった。まず主人公のアップの顔を描き写し、作業が戦闘機に移った時だ。こちらに向かって飛んでくる正面からみた二機の戦闘機の高速で回転するプロペラ部分は基本的には円と斜線で示されていたのだが、そのプロペラと背景との境界線が曖昧で妙に困ったことになったのだ。結局描き写すことを止め、プロペラ部の円形は無視し、表紙に印刷された機体ボディ部のみを輪郭に沿ってハサミで切り取り画用紙の上に適当に置いてみた。なぜその時切り取ろうと思ったのかはまったく記憶にないが、おそらくそうすることが一番その時の「匂い」に近づくと思ったのだろう。
 結局プロペラのない二機の紫電改が一瞬羽をむしり取られたトンボのようにマヌケに見えたが、紙の上には必死に写し取っていた今までの絵とはまったく異なる世界が突然現われた。切り取って置いた、やったことはそれだけだ。初めて見るその世界が動かないように急いで糊で納得のいく位置に貼り付け、プロペラの円を鉛筆で描き加えた。最後に描き加えたプロペラは見事に歪んだ円ではあったが、それでも鉛筆の線が加わることで切り取られた二機の紫電改はみじめなトンボから空を飛ぶ戦闘機に変身した。破り取る前の戦闘機とも描き写そうとしていたものともまったく違うものがそこにあった。なにかそれまで経験したことのない達成感のようなスカッとした快感を感じたのだ。
 それ以降も気に入ったものを描き写すことには変化はなかったが、描いたものをハサミで切り取ること、また自分が描いたものでなくても気にっ入った図柄を切り取ること、また切り取ったものと描くことを組み合わせるなどといった手法が新たなバリエーションとして遊びに加わった。
 確かに一枚の絵の上に描くだけでは決して起こり得ないまったく異なる世界は、そんなプロペラの円形に対する戸惑いからきた突発的な切り取り作業から始まった。
 何かと何かを貼り付けること。考えてみれば人と人との出会いの「コラージュ」に似たようなものかもしれないと時々思う。人からの「影響」といったこともコラージュの「効果」に似ているようだ。
 「因果関係」が意識的に自分の中でもたらす影響よりも、名前どころか顔すら、また出会った時期さえ記憶にない人とのおぼろげな出来事の方が実は深い影響があるものだ。(『見えない音、聞こえない絵』大竹伸朗 より抜粋)

 1970年代から1980年代頃は、学生運動がサブカル化した時代であり〈自分さがし〉が一つのテーゼだった。〈大きな物語〉が終焉し、それぞれが〈小さな物語〉を創作するためにのたうち回っていた時代だ。1955年生まれの大竹氏も、大学を休学して一年ほど住み込みで北海道の酪農牧場で働きに行ったということを考えると、そんな若者のひとりだったのかもしれない。
 自分という存在は、他者やモノを通して承認される。そして、自我が生まれる。大竹氏が人と人の出会いが「〈コラージュ〉に似たようなものかもしれない」と語るように、大竹氏の〈コラージュ〉の創作は他者やモノを通して〈自分さがし〉という承認作業をしているのだと思う。大竹伸朗という芸術家の純粋な自我は、あらゆるモノを貼り重ねることで〈小さな物語〉として完成される。
 多くの人は組織に属し、組織の論理に従うことで〈自分さがし〉をしなくなる。大竹氏は「日常の中で感じる太刀打ちのできない〈理不尽な力〉、それに流されないためには理不尽な何かを持って作品制作をしていく以外にない。そこに道理は見当たらない」、「人の感情や意図、また誰かの意志とも異なる何か、誰の頭上にもあり続ける名付けえぬ曖昧な透明雲、自分が感知するその雲に押しつぶされないよう、そいつに吹き飛ばされぬよう場バランスを保つ唯一の方法、それが自分にとってモノを創り続けることなのではないか?」と語っている。人は弱いから群れたるし、何かに属したくなる。現在社会は、〈小さな物語〉さえ創れない時代であり〈自分さがし〉などすることもない。大竹伸朗という芸術家の自我は純粋だからこそ永遠に続いている。「大竹伸朗展」は、閉塞社会を突き破り〈自分さがし〉の先にある微かな光を見せてくれた。