ゴッホの〈ひまわり〉
ロンドン・ナショナル・ギャラリー/国立西洋美術館

ゴッホのロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の〈ひまわり〉が初めて日本にやってきた。
心の渇きは絵画を観ることで癒してきた。見損なった絵画の一つがロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の〈ひまわり〉だった。
ゴッホにとって〈ひまわり〉は希望の象徴である。陽が当たらず居場所がなかったゴッホが、理想郷を求めて辿り着いたのが南仏のアルルだった。黄色い家に7点の〈ひまわり〉を飾りゴーギャンを招いたが、芸術家同士の共同生活はすぐに破綻し夢が叶わぬまま自ら命を絶った。そして、2点を除き5点の〈ひまわり〉が世界中の美術館に展示されている。なかでも人気が高いロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の〈ひまわり〉がに国立西洋美術館にやってきたのだ。

■7枚の〈ひまわり〉(年代順)
1 個人蔵(行方不明)
2 個人蔵(山本顧彌太氏が所蔵したが戦争で消失)
3 ノエビ・ピナコテーク(ドイツ/ミュンヘン)
4 ロンドン・ナショナル・ギャラリー(イギリス/ロンドン)
5  SOMPO美術館(日本/東京)
6 フィラデルフィア美術館(アメリカ/フィラデルフィア)
7 ファン・ゴッホ美術館(オランダ/アムステルダム)

4 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

1 個人蔵   2 個人蔵

3 ノイエ・ピナコテーク  6 SOMPO美術館

6 フィラデルフィア美術館  7 ファン・ゴッホ美術館

ゴッホの手記によると1から4までの〈ひまわり〉は1888年8月21日ごろ~26日ごろにまとめて描かれたものだ。
弟のテオへの手紙で、「僕は今4枚目のひまわりの絵にとりかかっている。この4番目のものは、14輪の花の束で、背景は以前に描いたマルメロとレモンの生物画のような黄色。しかしこれはずっと大きいから、独特の効果をうみだしていて、そして今回はマルメロとレモンの絵よりも単純に描かれていると思う(1888年8月23日あるいは24日)」と語るように4の〈ひまわり〉は30号サイズ(92.1㎝×73㎝)で3の〈ひまわり〉と同じサイズで1と2の〈ひまわり〉より大きくなり、背景が青色から黄色に変わり、黄色い背景に黄色い花瓶と黄色い花という明るい背景の上に明るい色を使う技法は効果的になり、4の〈ひまわり〉はゴッホの画風の到達点かもしれない。
ゴッホが描いた〈ひまわり〉は奇麗に咲いた美しい花ではなく、萎れていたり枯れたりしている花をあえて描いている。ゴッホが描くモチーフは雨風に耐えて履き古された靴や、日々懸命に生きている貧しい農夫などだ。
〈ひまわり〉は枯れた花の絵でありながら“衰え”や“退廃”という印象はまったくない。反対に、生き生きとしたエネルギーを発散している。枯れた花から、強さがにじみ出ているにだ。〈ひまわり〉が大勢の人を惹きつける理由は、絵が発散するこの強い生命力にあるのだ。

4の〈ひまわり〉はゴッホの死後、弟テオの妻ヨハンナなゴッホの絵を管理し、何回かの展覧会に貸し出された後、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに売却された。
ファン・ゴッホ美術館には、ヨハンナがそのときにロンドン・ナショナル・ギャラリーに書いた手紙が残っているという。
「2日間、私はそちらからの申し出に対して、冷ややかな態度を取ろうと努力しました。30年以上にわたって毎日見てきたあの絵と離れることは堪え難いと感じたのです。しかし最終的には、そちらかのも申し出には抵抗できないことがわかりました。〈ひまわり〉以外に、そちらの有名なギャラリーでフィンセントを代表するのに相応しい作品はないということを私は知っており、そして『ひまわりの画家』と呼ばれた彼自身が、ナショナル・ギャラリーにその絵があることを望むでしょう。〈ひまわり〉をお譲りします。それはフィンセントの栄光のための捧げ物です」
現在5点の〈ひまわり〉が世界中の美術館に展示され誰でも観覧できるようになっている。〈ひまわり〉が黄色い家に揃って飾られることが無いように、理想郷というものはどこにも無い。理想郷は自分のこころの中にしかない。こころの中の黄色い家に〈ひまわり〉を飾り、太陽のようなひまわりを咲かすのだ。

参考文献:『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』 朽木 ゆり子 (集英社)